子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

人の悪口と余計な一言

また、大げさなタイトルですが、中学あたりからすごく自分が意識しているのが「人の悪口」についてです。女子校だったせいもあって言葉、態度には結構これでも気を使うすべを身に着けている方だと思います。

言ってないことでもその輪の中にいれば「◯さんも一緒に言ってた」と取られるし、快適な学校生活を送るには付き合う人間をできる限り厳選して、話す内容と相手をよくよく吟味する、といったことをしないと生き延びれないと思っていたからです。

 

ときは流れ中学時代から20年。

今も基本的には、特に職場において人の悪口は言わない、と決めています。本当に困ったなと思う人もいますがその時でも、具体的に業務にどういう支障があるのか(無いのか)よく考えたら無いもの、対応できるものであれば、それは私の主観の問題であり、合わないんだなと思うようにしています。

 

もし業務に支障が出るようなことであればすぐに相談して、どうしたらより良く働けるか、物事が進むか、うまくいくかを話すようにしています。

そういうことはできるだけ早いほうがいいし、目標達成に向かって働いているチームのチームワークがちゃんとワークするにはお互いに腹を割って話すほうがいいなと考えています。

これまで働いてきたどの会社でも、そうしたやり方を取ってきましたが、やっぱり病院は勝手が違う…

先日の勤務のときのこと。

研修の報告書を出していたのですが、どうも私の書き方がむこうの願うものではなかったようでした。そのことを言いに来るのかと思いきや、ふかーいため息を付いて、他部署の上長に「これどう思いますー??」って話に行っててふたりで嘲笑をしていました。

 

人生それなりに生きているので「死んでやる」なんて事は微塵にも思いませんでしたが、感じ悪いな、くらいはものすごい強く思いました。

私の上司を見る目も「悪口を言う人・陰口を叩く人」に変わりました。

ちなみに他部署の上長も正確の悪いヤツということで私の中で「関わりたくない人」にカテゴリーをしました。

 

そういうことってすごくありがち。

これからもきっとあるんだろうな。

私自身についてはあまり言われてるところに立ち会ってなかったけどきっといろいろ言われてきたんだろうと思います。

 

振り返ってみたら、

  • 冷蔵庫を何度も開け閉めしてジュースを飲んでいた
  • 勤怠をつけ忘れていた
  • 疾患名を聞き間違えてしまった

などなど本当に誰もがあるようなことでぴきーんと怒りに触れてしまうようで事務室は針のむしろだな思っていたので悪口、陰口を言われるのもさもありなん、です。

 

「この人が」ということではなくすべからくどの部署の人達も似たような人がそろっていて「これが体質ってやつか」と感心します。

 

あとこれは私が悪いのですが、鍵を忘れてお借りしなくちゃいけないことがあったのですが、総務の女性に「この間も借りましたよね?なんで忘れたんですか?」と聞かれて、これもまたカルチャーショック。

比べちゃいけないけど、前の会社では「あ、じゃあこちらから申請を」「どうぞ」みたいなものすごい簡単な手続き(もちろんWeb)だったので、あーこうやってちょっとずつ萎えていくんだなと思いました。

前の会社が究極的に「むだ」を排除して合理的にすすめることを良しとしていたので、病院の古い体質には時々驚かされます。

 

決してファンではないのだけどそういうとこはホリエモンにバッサリしてほしいと思うのでした。

 

 

 

働くとか働かないとか

Facebookをつらつらと眺めていたら知り合いがこんな内容を投稿していました。

 

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「将来何になりたいか?」と子どもに聞いたところ、息子は「パパと同じ仕事」→警官→自衛隊

と変遷しているとのこと。

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ややというかがっつり右な人なので子どももそういうところ似るのかぁなんて妙に感心していました。

一方娘さんはというと。

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「ママと同じで何にもしない人」

と答えたそう。

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働いていない方なので専業主婦ということなのでしょうが、これを見たときに「働く背中は絶対に見せていきたい」と何故か思ったのでした。

専業主婦の友達も何人もいるし私がとことん手を抜く炊事も彼女たちは本当にマメ。

私がもし専業主婦になりなさいと言われたら発狂しちゃうなと思うようなこともきっちりこなしていて尊敬するところも多いです。

 

でも子どもからは「何もしてない」と思われるとはどういうことなんでしょう。

 

きっと私のほうが家の中ではよっぽど「何もしない人」です。

娘と一緒になって昼寝したりダラダラとしています。振り返っても家の中の自分の姿は褒められたものではありません。

 

でも幼い子供は「働く」=外部への働きかけと認識しているのでしょうか。よくわからないですが、この投稿を読んでいて、「私は外で働く人でいたい」という思いがふつふつと燃えてきました。まるで私のアイデンティティは働くということにあるかのようです。

自分のこうした思いがどこから来るのか考えるのですが、あまり明快なこたえは見つかりません。

ただ、ライフステージに変化が訪れても自分を貫いている「自分の人生」というものがあり、そこには労働・仕事というものが大事な柱の1つとして私の中に貫いていることを感じます。

 

娘にも息子にも仕事に就いて、仕事を通してたくさんのものを得てほしいと思います。

お金や地位だけでなく、人間関係、人としての成長、摩擦や打たれ強さ、その先の達成感.....仕事だからこそ得られる価値があると思うと、働くことを軽んじたくないし、そういう子になってほしくないと思いました。