子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

間違っていたのは自分でした

先日もチラッと書きましたが、いろいろありすぎまして昨年と状況が170度くらい変わってしまった弊社。

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昨年は上司と私たち平社員がコミュニケーションをとれずに悶々としたりイライラとする日々。いや、これってすごく最近までありました。

 

言ってること、全然わかんない。

 

といういら立ち。

 

「ちゃんと説明してほしい」というセリフはほぼ毎日誰かが言ってたし、そのうち『あの人は言っても分からない」と距離を置くようになってました。

 

ただ、今はそうも言ってられない状況でどうしても上司に聞かないと仕事が進まないことが多発してるので、また浮上してきたコミュニケーション問題。

 

 

 自分なりにどうしたらいいかなと考え、ちょっと振り返っていました。

紙媒体で働いて、その後ちょこっと別の仕事もしてみて今の会社に入社。

そのとき、そのとき、上司の要求に応えられるように働いてきた気がしていました、不真面目ながらも。

 

仕事の性質上、即売り上げになるようなこともないために今思えばぬるま湯だったと思います。

「自分の仕事がどんなふうにお金を生み出せるか考えなさい」と言われた時に、全然わからなかったから。

 

この自分のできの悪さにイヤになります。

給与をもらう資格ないんじゃないか(いや、いただけないと困るのですけど)と思ったり。

 

でも、ビジネスするってそういうこと。

お金にならないことをしても仕方ないし、やることをお金にしていくことまで考えるって、今思えば当たり前で、だけどずっと考えてこなかったことでした。

 

今でもそうですが会社の中で働いていると、それが即売り上げに繋がろうがそうでなかろうが給料が定期的に入ってきます。だから、「その組織の人間」になることにしがみついてしまうんだと思いました。

 

私などまさにそのタイプ。昔から何だか知らないけど「愛校心」とか「愛社心」みたいなものを感じやすいタイプ。

 

でも愛だけではビジネスは回らない。子どもに「愛してる」と言い続けても食べ物を与えなかったら弱って死んでしまうのと同じで、会社が好きでもお金が作れなかったらダメなんだなと思います。

 

だからって「愛はいらない」とばっさりもできないのですが・・・。

 

なので、今はこんな風に考えています。

せっかく良い会社だと思うしもっと良くしたいと思うから、形になる貢献をしよう、と。それはもう少し広くITに対しても、またメディアについてもそう思います。

 

ただ、メディアでのビジネス(コンテンツビジネスってやつでしょうかね)については、読まれない記事はお金にならないから、読まれる記事を書いてお金を稼げばいいというだけの単純な話でもなさそうです。

 

たとえば、鉄板の犬猫、あかんぼネタでポチッとSNSか何かでシェアとかいいねを押させてまるごとユーザーのデータ抜いてきました、みたいなビジネスモデルや誰かが渾身をこめて書いた記事を丸パクしちゃうとか。

 

それは論外だとしても、ユーザーだけでなくそのビジネスに関わるお隣さんに後ろめたいこと、有機的なビジネス展開ができないようなビジネスはしちゃいけないなと思います。その業界にいてそこで勝負している人から「キミは卑怯だよ」と思われるような存在になりたくないから。

 

それは広告主とか同業他社とか同じ業界の人にとって耳障りの良いネタを書くということじゃなく、ちゃんと取材してちゃんとコミュニケーションをとる、ということなんだと思うんですが、マネタイズまで私は考え及ばず。

ただ、「投資を受ける」みたいなのは全然マネタイズじゃないので、なんか、うまいことエコサイクルができるようなアイデアがあるといいのですが。

 

自分の意識がここまでやっとこさ来て、初めて少し上司の言ってること、わかってきた気がします。

 

社会人10年近くやってるのに、一体何ということでしょう。

ビジネスって、誰かが考えることをするんじゃなく自分が考える、自分が動くことなんですね。

自分が阿呆だったのだな、間違っていたのは私。とちょっとした(だけど割と大きい)気づき。