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子どもと暮らす日々のブログ

IT企業で働きながら子どもと夫と生活する日々を書いています。どうせなら人に役立つことも書ければと思います。

川崎の少年殺害事件で思うこと

今年に入ってから後藤健二さんと湯川遥菜さんが殺害されたり、サッカーの日本代表の監督が辞任したり、曽野綾子さんがアフリカのアパルトヘイトを容認するような発言をして炎上したり、、、日々大きなニュースが起きていて、そのテンポが異様に速くてじっくり考える時間もなかなかないです。

 

そこへ、この川崎の事件が起こって、今年の重大事件が吹き飛ぶほどショッキングでした。

第一報はちょうど娘の具合が悪くて仕事を休んでいた日にテレビで知りました。

最初は河川敷で中学生の男子の遺体が発見された、というもの、首を切られて殺されたのが死因という報道を見た記憶があります。

 

首を切るなんて、と痛ましいと思いましたがまさか知り合いによる犯行だとは思いませんでした。

 

このニュースはどんな風に報道されているのか、その後はじっくりと追う機会がなかったのですが、いくつか目に留まったニュースがありました。

1つがこれ。

 


少年殺人が示す「おせっかいおばさん」の必要性(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

もう1つがこれ。


川崎中1殺害事件の主犯少年は「凶悪」「不良」ではなかった!? マスコミ報道の嘘|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

 

どちらも大事な視点だなと思いました。

とくに池袋で活動している女性みたいなことって私も興味があったりするもので、興味深く読みました。

 

この事件を知って数週間、「なんてむごいんだ、ひどいんだ。少年法なんてもうとっくに変える時期が過ぎていて時代錯誤だよ」と思ったし、被害少年の笑顔があどけなくて悲しさも倍増。

 

このニュース関連の新聞を読むのもつらいなと胃がきりきりしています。

 

考えていてふと思ったのが「こういう狂気の沙汰って誰でもあるんじゃないか」ということです。

 

ここでなぜか思いだしたのが、何年か前に日本製品不買運動で、日本のスーパーやデパート、日本製品を手当たり次第壊した中国の暴動でした。

デモというか暴動に参加した人たちの多くが狂ったように、取り憑かれたように日本の製品をフルボッコしていました(この表現死語っぽいけど)。

 

でも実はそのほとんどはこの行動の意味も目的も分からないけど仕事が休みで時間があるから見てみようかと物見遊山で集まった人たちだったというのを読んだことがあります。

 

深い恨みも憎しみもなく、人は簡単に暴力行為に出て徹底的に何かを痛めつけることができる生き物だということです。

 

今回の事件の発端は「被害者少年がチクったから」と言葉を失うほど、小さな(と思えるような)理由です。

 

それゆえか異常にたたいてみたり「事件の残虐性を鑑みて」とかいいながら一部のマスコミが私刑をしていたりします。

そしてこういう風に正義漢ぶった一部マスコミの態度は、自分たちが加害少年と同じ根っこを持っていることを証明しているように見えます。

 

今回の事件で言えば、被害者の少年、加害者の少年両方の家族構成や親の職業に関してあれやこれやと書き立てて原因探しをしていますが、それが本当に原因なのか、そのこと原因探しが良い実を結ぶかは謎です。

 

たとえば、駅で駅員さんに暴力行為を働く酔っぱらいや妊婦を突き飛ばしちゃう人やクレーマーといった存在、極端な思想で誰かを排斥行為をする人など世の中に「狂気の沙汰」と思われる人がたくさんいて、この社会が「感情」に振り回されてる気がします。

少なくとも、私が10代だった頃よりずっとずっと。

 

その感情は嫉妬だったり憎しみだったり、怒りだと思います。

嫉妬することも、憎らしく思うことも、怒ることも人間の自然な感情ですが、なぜこんなに感情の行き場がないのか、負の感情を起点に行動することが「よくあること」になってるのか不思議だなと思います。

 

数年前に中国で起きたアンチ日本の暴動も中国政府への不満が暴発して、その怒りの矢が日本へ向けられたというのを聞きました。

今回の事件も「チクった」ことが理由と言ってますが、本当はもう少し違うのではないか、加害少年の中でうまく理由が見つけられていないのではないか、自分でも分からないコントロールの利かない感情があるのではないか?そんな気がします。

 

今後どうしていくべきか?教育は、家庭は、社会は。

という話もまたいろいろ語られてますが、自分の感情を把握しながら自分の感情に振り回されない生き方、態度を選んでいけるかというのを家庭の中で、学校の中で訓練していくことだと思います。

 

感情に振り回されると言えば、以前も書きましたが、わりと大変な家庭環境で育った夫は自分の感情がコントロールできずに言葉や態度がぶわーっと暴発する時があります。

 

会社では我慢している分、怒りがたまってしまうこともあるようです。

なので、周りの家族として私自身が夫の感情に振り回されないこと、問題を感じた時に信頼できる誰かにそれを知ってもらうことが大事かなと思っています。

いやだったことを「いやだったんだよ、すごく」と自分で納得して、何でイヤだったのかどうしたらイヤじゃないのか考えて言葉にしていくこと、怒りを理解することが重要だと思っています。

 

まだまだ夫の不安定な感情は、日々揺れていますが、それでも誰かが安定し続けていることは、夫の家族の方にはなかったことのようで、ちょっとずつ変わってきている気もします。

 

こういう家庭だからダメなんだ、とかそんな簡単なことじゃないから、こういう事件が起きたのだと思うし、今の日本を象徴するような事件と言う気がします。

 

加害者を裁き、被害者家族をも俎上に置いてしまうこの社会の無自覚さや短気なところ。事件と奇妙に呼応してる気がしました。

 

もう一度被害者の少年のことを思うとき、バスケで汗を流したり挫折を味わったり、恋をしたり、彼の無数の未来が永遠にこの世界で叶わないことに言葉にならない悲しみがありますが、「そんなに痛まなくていい。苦しまなくていい。私のもとに来て休みなさい」と神様が手招きしたのかな、とも思いました。


Bank Band 歓喜の歌(LIVE) - YouTube

 

だからまたこの歌。天国へつながりそうな壮大な歌。