その昔、私が通っていた幼稚園では月ごとに誕生日会があり、その日はホールに集まってみんなでお祝いをしました。
誕生日の歌がすばらしく良い歌で今もおぼえてます。
生まれる前から神様に愛されてきた友達の
誕生日です おめでとう♪
て歌です。
この歌の前後で「大きくなったら何になりたい?」と誕生日を迎える子どもが一人ずつ聞かれます。
私は確か「幼稚園の先生」。
それから小学校に進み、その時にも「大きくなったら何になりたい?」と聞かれました。今度は「小学校の先生」。
花屋さんやケーキ屋さんは「可愛い子の答え」と子どもながらに察していて「私が言ってはいけない答えだ」と思っていました。
モデルや女優であるまいし、顔なんて関係ないと今はわかるんですが。
そこから大学出るまで見事に、漠然と「将来の夢は、中学の先生、高校の先生、はては大学の先生もいいな」と自分のいる状況に応じて先生になりたがってました。
なので、本当になりたくなった時のために教員免許も取りました。
父親の職業など、家族の職業の方がふつうは身近だと思うのですが、父が「広告代理店で広告を作ってる」と言われても全然その実態が分からなくて、あこがれませんでした。
広告代理店が何をしてるかわかったのは社会に出てからです。恥ずかしながら。
すっかり30歳をゆうに越えた自分が、いまだに「これからはこうなりたいな」って将来の夢を描いてます。
子どもの特権だと思ってたのに、大人も将来、なりたいものがあるんだってことを大人になって知りました。
子どもの時には見えてる世界も、把握している職業もすごくわずかです。
大人にならないとわからないこともいっぱいあるし、今はむかーしと違って親の仕事を継げばいいという人はまずいないから、自分の将来を自分で描いていかないといけないです。
ずっとモラトリアムでいることもできるのかもしれないですが、私がそのモラトリアムを選ぼうとした時に、大学の指導教官に「社会に出てみなさいよ」(にこっ)って言われて、そうだなって思って社会に出たら楽しかったです。
仕事(働くこと)もすごく楽しいことがわかって、自分が何に心を動かすか、自分なら何ができるか、何が本当にしたいかがわかってきました。
好き、やりたいというのはいつの時代もいくつもあるとしても、「それが社会の解決になるのか」という視点でいくと、そこまでつきつめられないことが多くて、それが趣味と仕事の境界線なのかなと思います。
昔から人一倍、本当にバカみたいに正義感の強い方なので、「私は将来何がしたいのだろうか」とつきつめた時に、社会問題を少しでもなくす仕事がしたいなと思うようになりました。
ただ、小さい頃のように正義感で行動を起こすのではなく、当事者にも回りの人にも、人にはいつも心があることをおぼえて役に立てたらいいなと思います。
5年後も、10年後も「これから何になりたいかな」って思いながらおばあちゃんになっていくのかな。