よく、髪をとかすクシの歯抜けってありますよね。字があってるのかしら。
歯抜け。
今の会社の惨状です。
何度かここにも書いてきましたが、会社の危機的状況というより、「危険、近寄るな」状態です。
中で働いていると、半分感覚も麻痺するのですが、また一人、本日付で辞める人がおり、「この会社に未来があるのか」という根本的な問いを突きつけられている気分です。
上司は昔から個人で仕事を請け負ってきた人で今でもそちらのフリーランスの仕事も抱えながら会社にいるので、この会社がダメでも「片肺まだ生きてるし」みたいな感じなのかもしれません。
誰が辞めてもテンションが変わらず、それはまるでバブル期にもうはじけるってわかってたのに投資しまくってる人みたいです。
私はといえば、どんな顔をして最後に挨拶したらいいかわからないまま、普通に挨拶をしましたが、なんと言えない気持ちです。「こんな状態だから引き止めても仕方ないしね」というのは、もう昨年から言い続けてるフレーズ。
辞める人ともランチに行きましたが、非常にできるしやる気もある人だけど「もちべーしょんがなくなっちゃったんですよね」ということでした。
そして、このことは非常に重いことだと思っています。
上司が部下にできることは、成果を生み出させることではなく、成果を生み出す手前のモチベーションを与えること、スキルを与えることくらいです。
モチベーションは外的動機付けといわれる、給料や職場環境も大事ですが、内的動機付けがやっぱり最後はというか、ずっと大事だと思っています。
「この人のやる気、気持ちにどうやって答えるか」という点で、彼の上司である社長は失敗をしているってことをひしひしと感じていました。
いっぱい議論して、いっぱいぶつかって前に進みたい彼と「とにかく人とぶつかるな」という社長。当然、そりが合わなかったです。
彼が意見を言わなくなったのは、謙遜になったからではなく、失意の表れです。
そういうね、人の気持ちの表れに鈍感な人になっちゃいけないなとつくづく思います。私とて、隣の部署のマネジャーなので大したフォローもできなかったし、私も議論になればすぐに白熱する彼に、色々叱られましたが、彼の言い過ぎるきらいを差し引いても、残るアドバイスは有益です。
働いてるってそんな感情的な話じゃないから、いろいろ言われてもそこそこやり過ごすし、「あ、今あなた言い過ぎてますよね??」と思いつつも、そこは受け流すとか、でも耳の痛い話もありがたいということもあります。
社長はそういう「加減」を私たちがしていることを知らずに彼を一方的に叱ってたと思います。「怒るな、ぶつかるな」と。
彼が辞めるのは、彼の決断であって社長のせいではもちろんないんだけど、ここ半年、同僚が辞めるたびになんとも言えない気持ちになります。
がっかり?寂しい?
うまく言えないけど、人を見送るのもなかなかきついなと思う今日この頃です。
上司のように、去っていく人を「いなかったふり」「見ないふり」で避けることはわたしにはできません。
って、ん??
この状況、実は全然違うシチュエーションで出会ったことがあります。
なかなか、文章に残す機会が今までなかったですが、せっかくブログをしているし、自分ログとしていつか書きたいと思います。
どんな場所でも、人が集まるところには、一人ひとりの背景があり、歴史があり、気持ちや考えがあります。それは目には見えないし、気づかないふりをすることも簡単です。また、気づけないこともいっぱいあります。
でも、気づけないゆえに、誰かががっかりすることもあります。
この、がっかり感。「期待したほうがいけないんだよ」というかもしれませんが、期待するってことは信頼しているってことでもあり、それが崩れたらやっぱりその場にはいられなくなります。
家庭でも、職場でも。
赤ちゃんが生後すぐにやることは親との信頼関係を築くこと。
それは生涯にわたってそれが人間にとって非常に重要だからだと思います。
誰かと信頼関係を築きながら働ける職場にしていきたいと思います。
個人レベルでできても職場全体でそうじゃないと結局意味がないなぁと最近感じています。