長らく待たされた(きがする)転職の選考結果、「残念な結果となりました」とのお知らせがきました。
やるだけがんばったと週の前半まで思っていたものの、返事がないしダメなのかなぁとジタバタした週半ば。
そしておとといくらいから冷静にダメだったところを客観分析し始めていて、でも期待もあってモヤモヤしていましたが、これまでなんども「うまくいかない」経験をしてきた身としては、意外と受け入れられました。
反省点はたくさんありますが、
- エディターになりたいのか、ライターとしてスキルアップしたいのか
- マネジャー経験を積む
- ライティングスキルももっとあげる
- どんなジャンルでも喰わず嫌いしない
- ライターをマネージメントする
- 自分でメディアを運営する
こうして書き出してみると転職の前に頑張らなくてはいけないことがまだまだありそうです。
とてもいい会社だと思って受けた会社だけど、思いがうまく言葉で伝えられていなかったのかもしれないし、年齢の割に経験不足と思われた気もするし、何よりも入社後のビジョンが定まっていなかったことが反省点です。
もちろん、面接前には入社後にこうしたい、ああしたいというのはありましたが、面接で初めてどのサイトの担当になるのか?を聞かされ、柔軟に答えられなかった…など、課題山積でした。
今回、選考で落ちた後に大学受験のことを思い出しました。まだ若かったせいかひどく落ち込んで地団駄ふんで(という表現がぴったり)悔しくて浪人しました。もう、第一志望の大学以外、まったく考える余地もなく邁進しました。
でも、就職、転職ではそこまで自分の人生を虜にするというか賭けたいというものよりも、もっと別の、条件であったりスキル面であったりのマッチングがポイントで感覚がだいぶ違うなと思いました。
面接官に「運が悪いでしょ」って何度か言われて「自分がうまくいかない時に運が悪いと考えたことはなく、自分の足りなさでうまくいかないと考えています」と答えたのですが、果たしてどうなのか、考えたりしています。
運が悪い。
かぁ。
捉え方次第だし、運次第のもので必要なものは備えられていると感じるし。「晴れと思ったら雨が降って傘を持っていなかった」とかが運の悪い話になるのでしょうか。
その程度のことは、ラッキーなことも残念なこともありますが、正直、クリスチャンとしては運の良し悪しが人生を決定づけていると考えないので、「運が悪い」という言葉の意味がよくわからなかったというのが正直なところでした。
選考結果、ずっと電話で下さっていた人材紹介会社の方が、落ちた結果だけメールでくださいました。
その前日に「いつ頃結果が出ますか」と聞いたら「まだですが、来ましたらこちらからご連絡します」といわれ、「電話があるという認識で良いでしょうか」と聞いて「はい」といわれていたのに。
お金にならない瞬間に、しれっとメールひとつなんだな、と世知辛さも痛感。
この会社は使いたくないと思いました。
仕方ないけど、ユーザーとしてどの会社を利用するかの目安にはなります。自分の仕事、ユーザーさんへの関わり方としても。