同僚がまた一人辞めるとわかってはや2週間。
ここ半年くらい、霧を掴むような思いで仕事をしてきましたが、良い方向に進んでいるとは思えず、そもそも最初の判断を間違えたのではないか。
この会社はずいぶん遠いところまで来てしまっている。そんな気持ちが日増しにしています。
Webメディアの数が増えてるけど、本質的な「編集長」はどれだけいるのか? - いいブログ
この記事を読んで身の引き締まる思い、というか、私は編集長じゃないけど心当たりあるあると思いました。
Webメディアで働くようになって3年が経過しました。
Webメディアって多かれ少なかれ、スピードと量で競っているなと思います。ゆっくり、とか質とかそんなことに価値をおき、実行しているメディアってそうそうない気がします。
それを担保するにはある程度の規模感が必要です。
ライターを何人も抱え、優秀な編集者がおり、その優秀な編集者の3年先を行くデスクや編集長がいるような、理想的なメディアなら実現可能かもしれません。
今月に入って社長と何度か会社の今後について話し合うたびに暗い気持ちになり、新しいアイデアを出そうにも全然アイデアはわかず、別のことにを取られてしまって中途半端だなと感じています。
そんな時に見つけた上記のエントリ。
メディアを立ち上げる以上、誰かが編集長の役割を担います。企業によっては編集経験がない若手担当者に任せることもあれば、ディレクター的なポジションの 人が担うこともあるはず。旧来からの紙文化における「編集長」と比較的リスクの少ないWebメディアの「編集長」の重さは、認識として全然違ってきている のかもしれません。
本当にそうだなと思います。ライター兼エディター兼エディトリアルマネジャーなんてざらだと思います。
、能力と経験と人間性。とくに人間性の部分で信頼や尊敬をされる素地があるかというのは、非常に重要なポイントだと、しみじみ思います。
弊社の場合、編集長が1ヶ月ほど出社していないのですが、その理由をあれこれ聞かされても分かりにくく、言い訳がましく聞こえ、社員の間に不信感が積もっています。
それは、日頃からメール返信が遅かたり、社外へのコンタクトでプロジェクト責任者が他にもいるのにメールのccにも入れずに個人メールを送ったり。
社会人としての胆力なさすぎと思うようなことも多くあります。
書いているうちに愚痴になりそうですのでやめておきます。
自分自身、社会人として人とうまくやっていく能力は人並みにあると思ってはいますが、今の職種でどれくらい専門的にすぐれたスキルを持っているだろうかと考えた時に、自分の能力のなさに愕然としました。
昨日書いた日記を翌朝にもう一度読み直すのですが、この時がかなりホラーです。
なにこれ?
中学生以下。
中学生だった自分の方がもう少し文章能力はあったんじゃないか?と思ったりします。
年齢的には編集長、もしくはその候補として採用の現場で見られることも多いのですが個人的には凄腕編集長の下で磨きたい気持ちもあります。個人的に師としたいのは嵐山光三郎が大好きなんですが…。
時代を超えてレジェンドだなと思います。
今のWebメディアの編集長の中にもきっとそういう人がいるんだと思います。自分が編集者として心底惚れるような、そんな編集長と働きたいなーと夢を見ています。
で、取り急ぎ自分の文章能力の低下をのろい、本をいっぱい読もうと思いますが、試験勉強が終わってから…。