子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

友達は宝物

小学生の時、私はずいぶん親とぶつかっていました。

毎日怒られていたし、毎日悔しい思いをしていたし、週に3-4日は泣いていたと思います。たまに怒られない日が続くと、どっかーんと大きな爆発がある感じで、怒られない日も針の筵みたいな気持ちで過ごしていた時期がありました。

いっつもいつもじゃなくても、そういう印象があります。

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話題と関係ないけど、こういうの見るのはいいけど、作れないな。なのにそういうマメな人が読むようなwebの編集。難しい...

今思えば、厳しいしつけ(といっても、使った醤油をしまいなさいとか靴は揃えて入りなさいとか)、基本的生活習慣ができてなかったので、全く怒られても仕方ないと思うことばかりですが。

 

ただ、あの頃の自分は、家族より友達。

家族がいなくても生きていけるけど、友達がいなかったらダメ。友達が私の人生の最も一番大事なものと思っていました。

 

その思いはかなり大きくなっても引きずっていたし、新卒後に入社した会社で出会った先輩には「情が深い」と言われましたが、今思えば友達に依存傾向があったかもしれません。

 

表には出さなくても、友達の言動に少しでも曇った部分を感じると胸が張り裂けるような思いでいました。

そんなところから、いつの間にか抜け出した気がします。

おそらく、30代を目前に行くチャーチを変えて、信仰を持って生きることは自己啓発とかライフスタイルじゃなく、アイデンティティにも関わること、それは誰も傷つけたり悲しませたりする種類ものではないこと(もしそうなら、それは間違った道だし)を確信したからだと思います。

まあ、早い話が、友達とか家族とか、人に対する過剰な期待、依存がなくなったということです。

 

それでも、今でも友達は宝物だなと思います。

今日は珍しい取り合わせの友達とランチをして帰りました。

共通の悩みは「仕事」。

みんな、自分のやりたいことではなかったり得意分野ではなかったり、人間関係が良くなかったり、いろいろ仕事に挫折も感じてるし、悩みを抱えていました。

 

私も先週のことがあって、どうにもこうにも明日からどんなモチベーションで働けるんだろうかと不安になっています。

 

それでも、お互いに話を聞きあえて、祈ってくれる人がいるというのはとても大きな力です。

昔みたいに友達、友達ってならないけど私にとって家族でもない友達という存在は、すごく大事なことに変わりないし、自分自身の友達に対する考え方は変わったとしても「友達が大事」なことには変わりありません。

 

明日から、どんな日々だろうかと思いますが、聖書にある通り「神様が共にいる」ということが一番強い支えだし、友達も家族もいるというのは、自分の力では絶対に得られない、かけがえのないものです。

そういう存在があって、人生や生活の部分に仕事もあって。

部分だからといっておろそかにはしませんが、仕事が全てでもないし、家族が全てもないし、友達が全てでもない。

ただただ、それぞれに対して誠実に向き合っていくだけなんだと思いました。