強調表現は好きじゃないけど、「激動」という言葉がふさわしい日々でした。
2014年の暮れにふと、「このまま社会人として漫然と生きて良いのだろうか」という疑念がふつふつと湧いていました。胸が痛くなる幼児虐待の事件は後を絶たず、かといってやいのやいのと批判してるだけで何もできない自分、何もしない自分は何者だ?という自分への怒りみたいなものもありました。
急遽、近所にあった社会福祉士の通信制スクールの募集要項を取り寄せ、ギリギリで提出。合格通知を受け取ったのは、その1ヶ月後くらいでした。当時は仕事がかなり暇で、「定時で帰れるし昼休みも勉強できるから大丈夫」と思って始めたのでした。
2015年、夏。
会社の閉鎖が決定しました。もともとfounderは残ってたものの業績不振でボードメンバーが株主の手によって入れ替えられたりしていて、良くなかったのですが日本は残す可能性もあるようだったので最後までネズミの逃げ出す「船」にあえて乗っていました。
転職活動もさることながら、この時期にもう一つの山がありました。
キャリアコンサルタントの資格試験です。それも、国家資格になるということで絶対に取りたかったもの。口内炎ができまくる中、唯一の楽しみはミスチルライブでした。
キャリアコンサルタントの試験の数日前に今の会社に内定をいただき、残りの日々はキャリアンコンサルタントの試験勉強に集中しました。もう、次の職場のこととか研究する余裕ゼロで。
2015年9月1日
新しい会社に転職しました。
ここから地獄の日々。
徹底的に「できない」自分との戦い。なんていうか、社会人10年やってて、仕事が大好きでこんなにも無能なのか!と。
ミス、気づかない、わからないの連続。
とくにライターさんなどへの支払いに関しては「ぜったいにやりたくないです」と上司に直談判したほど。今思えばこの上司はすごく偉い人だったのですが、間がいなくて訴える先もなく...。
今思い返しても地獄の日々。そのうち免疫力がなくなって癌になるのではないかと思ったほどでした。大げさでなく。
この年にしてここまで自分の出来なさにぶつかるとは。まさに我がバカの壁。
そこから約半年。気づけば、なぜか社内のバリュー賞を頂いたり、急に仕事が楽しくなりました。その時期に、第二子の妊娠。
7月
わけあって夫と別居。別居前から訳ありな人でしたが、まあお互いにそれぞれ頑張っていきましょうということで円満に。
同じ7月に社福の実習を受けるつもりだったのですが、なんと妊娠故に実習は受け入れてもらえず。受け入れる側としたら、それはNGですよね。ただ、実習先の現場担当というか実習受け入れ先の責任者には事前に伝えていて、「OK」を頂いていました。
ただ、トップが「ダメ」ということで泣く泣くNGに。
最大の危機でした。これで実習ダメだともうスクールの修了もできないし、すなわち試験を受ける資格もないわけです。
来年になれば乳飲み子を抱えて実習。いろいろ想像しただけで非現実的でした。
ところが、スクーリングの先生が緊急で会議をしてくださり、なんとその先生の勤めている施設の1つで実習をさせていただくことに。本当に感謝感謝でした。
実習は9月のスクール直前までありギリギリでしたが、なんとか皆勤で出席&それなりにできたような...
10月
模試を受け、アッパーパンチ。1科目でも落としたらアウトなのに落としたので絶対不合格圏。
後数ヶ月で合格水準に上がれるのか、もうもはや遠い未来は考えられませんでした。重ねて。仕事では日々、日々、後輩をアップグレードさせねばならず、新しいチームを立ち上げながら引き継ぎをしながら、最後の数日は父に娘のお迎えを頼み、残業し放題。妊婦ですが何か??みたいな12時間労働とか平気でやっていました。
週末ももちろん、毎週持ち帰り残業。
妊婦じゃなければビールでも煽ってたな。
妊婦だから麦茶で我慢。
11月
2回目の模試でなんとなく、マシになる。産休に入ってから2週間ほど勉強してなんとなーく科目をなめた、みたいな。表面を触った程度でしたが、「なるほどね。これはこうやって出るんだ」というのを理解しました。
そして、出産。想定どおりでもあり、予定よりは早くもあり。想定外は、こんなに痛かったっけ?っていう出産後の痛み。座るの辛すぎ。入院中、思ったより勉強できなくて痛み止めを飲んで寝ていましたが、時間も惜しくて。
12月
粛々と試験勉強。蟻地獄に陥ったような気分でした。後1ヶ月で試験とは到底思えない、やればやるほど毎日新しい言葉、制度、歴史が出てきて、初めましての人名も多いし。これは試験前日まで続くという、恐ろしさ。
1月
hopeforchildren.hatenablog.com
こんなこともあり、娘の保育園と病院の往復。その間に勉強。これで落ちても文句ないよね、しょうがないよね、と思いつつ「落ちたくないよ〜」というのも本音。
そんな中、試験日が1月末で退院日も試験後に調整してくださった病院の先生には感謝でした。なんだか、記念受験のよう。大学生もたくさん受けていて、その姿の眩しいこと、眩しいこと。
そもそも、病院と保育園と実家と…。気づけば産休後に会話らしい会話って家族と以外してないし、久しぶりに外の空気を吸った気分でした。
午前科目。全滅???唯一わかったのは最初の問題の赤ちゃんの発達に関する問題のみでした。
障害者基本法あたり、7月に津久井やまゆり園の事件もあり、出るのわかりそうなのに最後まで苦手な高齢福祉を勉強しまくって、障害者に関する法律や制度のチェックが手薄になってたことを呪いました。数問出て、まるっと落とす手応え。
午後は帰ろうかと思うほど。息子に会いに行くほうが有益か?
と。でも、来年に向けて問題も知りたいしやっぱり最後まで受けることに。
2月
みんなは答え合わせをしたみたいですが、そんなことをしてショックにショックを重ねたくないと思い、落ちたのは仕方ないとして、気持ちを新たにしていました。
3月15日
合格発表がこの日、ネットで公開。え???なんで?本当に???が最初の感想。
なんと、番号があり合格の模様!これには嬉しくて泣きました。息子にも娘にも、多大なる迷惑をかけたので、これからは子ども孝行をしなくちゃと思います。
それに、この合格は私の努力じゃなく、本当に神様のおかげ。なので、もっと神様の思いに沿う生き方をしていかなくちゃな、と思った次第です。