先日、とあるツイートを見ました。
子供を生む人って自分の子供が
— あつあげ@反出生 (@antinatalist102) 2020年1月27日
・障害をもっていない
・大病にかからない
・事故に合わない
・いじめや職場関係で悩まない
・入試や就活で苦労しない
・容姿で悩まない
これらをぜんぶクリアするという謎の自信をもってるのまじで尊敬する。いやマジで。
確かにね。
そういう風に思う子どももいるよなぁ、学生時代そういう人が周りの周りくらいにはいたかもしれない、と思いました。
親になった今、全部を想定しているし、なんなら自分の子どもが加害者(いじめたり事故に合わせちゃう)ということも含めて想定して、日々この子たちとどういう関係を築いていこうか、生きていこうかと考えています。
自信の有無や全部クリアとか一部failureとかそういう話じゃないというか。
人が生きてる限り悩みはつきまとうとし、全部なくても違う次元の悩みを持つ人はいます。私など多分、入試でちょっと苦労したけど第一志望校に入ったし、就職も第一志望の出版社で働いて第一志望の編集職で勤めてたし、今の国家資格もとってそれで働いてるしすごく恵まれてると思います。
試験に落ちることはもちろん学生時代に経験してるけど、それで体や心を壊したこともあるけど、親は関係ないし(親のせいでは絶対ない)私の右往左往に親はキレたりムカついたりしながらも、子どもとして(親子の子)扱ってくれたし。
なんて思うけど、じゃあ私に悩みがないかというと老後のこともこのまま健康でるのかということも、なんなら今日、早退してきた娘が感染症じゃありませんように!!とか日々悩みや心配は尽きないわけです。
でも、それを持って「子どもなんて産むものじゃない」というぺシミスティックな考えは持たないです。
だってさ、この人がここで書いていらっしゃる一つ一つって日常の中に「あること」なんですよ。
言葉にすると大それて見えるけど、日々の勉強の延長に試験があるし、日々の営みの先に仕事、就職があるし、それがうまくいってもいかなくても人はなんらかの形で生きていくし、子どもがそれを背負うことが幸か不幸かなんて、個人個人で受け止めは違うから「親は」とか「子どもは」なんて大きな主語でくくれる話しじゃないと思います。
多くの場合、親との関係がこじれてる時に「絶対子どもなんて生まない」とかいう人がいますが、それはそれでいいんじゃないと思います。親と最良の関係で、「絶対生まない」でもそれもいいと思うし。
でも、生まないことを良しとしている人が、子どもを産む人にいちゃもんつけるのってなんだろう?と思いました。
その上で、なんで人は子どもを産むのだろうと思ったら、少なくとも私から子どもに向かうベクトルには愛情が一番強くあって、生まれてきた子どもは本当に可愛くて大切で目に入れても痛くないってこれねと思いました。今もね。
そしてまた、子どもも少なくとも現段階でとても私に対して慕ってくれるというか信頼してくれることを感じます。
家族ってお互いに愛情を注ぎながら関係を育んでいくのだと思います。
人間にとってそういう関係を築ける相手が必要だから、人は家族を持つのだと思います。
今の時代は、というかいつの時代もそういう関係を持てない環境で育つ人もいるし、家族がいても愛情関係のない家庭もあるのは確か。だけど、そこには何か不全感があるというか、いつも穴埋めを探してしまうような気がします。
その穴埋めに代用されるのが人か、ものか、お金か、学問か地位か名誉かは人それぞれですが。
親のエゴだよ、ということをいうとしたら、それは自分の親に向かっていう話なんだろうと思いました。
そしてそう言われることくらい、子どもを産んだ時から想定済みでもあり...。
ただ、何を言おうと何をしようと、子どもはやっぱり子どもで責任もあるし可愛いし、大事な存在。
このうたを思い出さずにはいられなかった。