子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

人生を計算する

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時々、「あと10年若かったら」とおもうことがある。

嘘。時々じゃなくてしょっちゅうだ。

20代前半で子どもを生んで、少なくとも25歳で下の子を生んでいると、子どもが成人したときに45歳。

まだまだ何かできそうに思える。

友達で、21のときに子どもを生んだ人がいて、彼女は私と同じくシングルなのだけど「青春を全部息子に費やした。この子が成人したとき、私まだ41だよ」って言ってた。いまだ20代である彼女からしたら、40代なんて未知すぎるだろう。

それにもっともっと遊びたい気持ちもあるけど息子第一の人だから、いろんなことを我慢してるんだろうなと思う。

そういう現実も身近で見ていながらも、つい「あと10歳若かったら」なんて考えてしまう。

子どもを早く生んで育てるメリットはなんと言っても体力が違う!

子どもの背中を追いかけ、頑として動かない子どもを追い立て、一日が終わる。

休みの日は椅子に座るのもほぼなく、今ようやく、朝起きて以来久しぶりに座っている。

昼ごはんも朝ごはんもスタンディング。座ると動きたくなくなるし、座ると子どもの対応がしづらくなるからついスタンディングスタイルになっている。

そんなことくらいで疲れていて、寄る年波には勝てぬ。

 

それにいつも指折り数えている。この子が成人するとき私は...と。

じゃあ自分が20代前半で何をしていたかといえば大学出たばかりで社会人になったばかりだった。

子どもを生み育てるチャンスも環境もまったくなかったから今の人生でその選択肢はない。

ないのはわかってるけど、どこかでねじ込みたくなる。

姉は学校を卒業して3年目で結婚して4年目で第一子を生んで30歳までに3人出産したけどそれでも「3人目は体力が」と言っていた。

でも逆に子ども3人を育てるのは若いからこそできたのだろうと思ったり。

 

お金の面から言っても若いほうが頑張って働けるし、チャンス(相手)があるなら早く結婚して出産するに越したことはないんだとしみじみ思う。親にも言われてたな〜。チャンスが無いことを言い訳にしていた自分を叱りたい気持ち。

そんなないものねだりを頭の中でしょっちゅうしてしまう。

家族3人。

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元夫と一緒に住まなくなってはや5年が経とうとしている。

すっかり私と娘息子の3人での生活が定着している。

娘が午前中、学校に行っていると私と息子だけ。なんだか足りない。息子も元気がない。私もやる気が起きない。

これが、娘が帰ってきただけで家の空気が変わる。特段のムードメーカーというわけでもない。逆に、息子がいなくて娘と二人だと、同じことが家に起きる。

一人いないと「欠けた感じ」がする。

 

元夫とも確かに家族だったはずなのに、私の中では「いないとホッとする」人になっていた。帰ってくると私の気が重くなる。

もう帰ってきたのか...と。

それが、そんな日もあるよねというレベルではなく毎回そうだった。

理由は単純で、帰ってくると大抵は怒られたり出かけ先の様子を事細かに詰問されるからだ。

興味があるとか心配しているという次元ではなかった。

仮に言葉や質問の意図がそうしたことだとしても、それを聞いてあなたは何の満足を得ようとしているのか、単なる自己満足ではないか、何なんだよ...と思っていた。

元夫は娘と月に1度程度会っているけど娘にも「学校でいじめられていないか」「先生は変な人ではないか」というアプローチ。

まあ、私も聞かないわけではないから、いちいちそれをもって夫がおかしいなんては思わないけど、「聞きたいことを聞く」んじゃなくて「相手が話したいことを聴く」っていうのも大事だよ。

と、思う。

 

先日、姉と話していてその心地よさを知ってしまった今、自分もまた人の話を「ふん、ふん」と聞ける人でいたいと思うし、姉の自然体は永遠の憧れだし、この年になっても世界でやっぱり姉が一番スキだなと思ったりしている。

 

家族のことをここのところあれこれと考えている。

年をとるにつれて、それぞれの生活圏も広がるし人間関係も変わるし、考え方も変わってくる。だけど、「このメンバーで落ち着くね」というお互いでいたい。

娘にとっても、息子にとっても「我が家」があって当たり前の心地よさであると良いな。

二人が仲良く遊んでいるのもまた、すごく可愛くて自然な姿で、貴重。