子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

マタニティマークがいまだに賛否両論の不思議

妊娠が確定した時のこと。

母子手帳をもらってください」といわれて区役所に行きました。てっきり母子手帳だけもらうんだと思ったら、妊産婦の生活とか用意するものとか至れり尽くせりいろいろな情報の詰まった書類一式ももらえました。

その中にマタニティマークのキーホルダーもありました。

マタニティマーク マスコット タグ

当時住んでいた家から会社まで山手線でちょうど半周。

もらって数週間はつけずに過ごしていましたが、つわりもあったので夫に「それつけたら?」って言われて、つけてみました。

 

山手線で通勤と言っても乗り降りは激しいし、早めに会社に行けば通勤ラッシュも少しだけ回避できるので、幸い、危険な思いはしませんでした。

 

先日見ていたニュース23でベビーカーの話題がありましたが、マタニティマークについてもインタビューをしていて「あんなものつけて見せびらかさなくても」とかいう意見がありました。

また、こんな話題も見ました。


車にマタニティマーク「特別扱いされたいの?」の意見 - Ameba News [アメーバニュース]

ソースはこれ何だけどね。

 

私もつけていながら罪悪感がどこかありました。

不妊で苦しんでいる人がみたら苦しいのではないかとか、席を譲れと強制しているように思われないか、とか。

 

一定数、上記の書き込みのようなマタニティーマーク反対意見があるのは仕方がないのかなとも思いますが、でもこのマークって厳密には赤ちゃんのためのものではないかと思うんです。

 

妊婦さんが譲られたいとか守られたいためのものじゃなく、赤ちゃんを守るために妊婦さんも守る必要がある、そのためのもの。

 

妊娠していると周囲が見て明らかになるのは安定期の過ぎた5か月とか6ヶ月とか。日本人は体格的にお腹が突き出すようにならない場合が多くて、冬、コートを着てると妊婦かどうかハタから見ていてわかりません。

 

そのうえ、安定期に入る前がとくにつわりがひどかったり流産の確率も高かったりするので、お腹が大きいときよりむしろ、座らせた方がいいんじゃないかなと思ったりしています。

 

ただでさえ、揺れたり(意図せずにも)押されたりする電車やバスで座ることは赤ちゃんのために必要なことではないかという気がします。

 

見せびらかすとかいうのは、次元のまた違う話ではないかなと今は思います。

 

胎児は自分の存在を誰かに知ってもらう術がないけど、明らかに母親とは違う人格、人生を造っていく母親とは別の存在だから、「そう言う存在がここにいますよ」と知らせることって大事なんじゃないかなと。

 

母子手帳や妊婦検診は、赤ちゃんの状況をチェックしたり記録するために、またその母親の状態を把握するためにあるものですが、そうやっていろいろな形で準備して誕生を待つわけで、「胎児だから母親と一体」と言いきっちゃうのも、何か違和感があります。

 

周囲がどう見るかというのが、賛否両論あるのはマタニティーマークの意味が本当には理解されていないせいもあるだろうし、結婚、妊娠、出産、育児に対してステレオタイプな考えが浸透しているからなのかもしれません。

 

意見のぶつかり合いのようですれ違いというか、それぞれ意見している人が見えてる世界が違いすぎるといつも思います。

 

追記。

ちなみに、マタニティーマークがない時代でも「出かける時は母子手帳持参」ていうのを推奨されていたという話を聞いたことがあります。今でも(私も)遠出する時は持って行ってくださいと産婦人科の先生に言われました。

何かの事故や病気で意識不明になった時に妊婦かどうかで使う薬や治療が変わるからだそうです。

 

だから、妊娠してる自慢とか席を譲らなくちゃいけないんだとかそんなせせこましい話ではなく、万が一の時のための備えなのかな。