子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

引きずりますが、母の日ネタ

私のFacebookの友達が偏っているせいでしょうか?

母の日のFacebookのタイムラインに

「母親最高」

「ママ大好き」

「母親はすばらしい」

「ママはいつもベストを考えてくれる」

「いつも子どもを一番に考えているママに感謝」

という、胃もたれ気味の書き込みが乱立しており、その数、50はかる〜〜く越えてるかと思われます。

みんなママ自慢合戦してるみたい・・・

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母親に対する感謝や母親のことを好きだと思う気持ちはあるのですが、「そうか、そうか。お腹いっぱいだな」と思いながらサイトを閉じました。

 

なんで自分がこんなに違和感を覚えるのか考えて一つ気がついたのは「私はここで書かれているような母親ではないし、自分がそうなろうと思ってない、できない」っていうことでした。

 

夜遅く帰ってくる娘のために起きて待っているような、自分をいつも犠牲にして子どもを優先させるような、いつも手作りの何かを用意するような。。。

 

五本の指がくっついているかと思うほど不器用ゆえ、裁縫も料理も苦手だし、多分、家の中で輝くタイプではないので最初から家庭というのは私にとっても「休息の場」です。

子どもや夫にとっても休めて、私も休めればいいので、掃除や洗濯や多少の料理はするけど、洋服とかごはん(部分的に)買って済ませたいし、子どもが乳飲み子の時も、泣いてても3分くらいはちょっと寝ちゃって、授乳してたし。

ちょっとずつ、自分がより楽な方に引き寄せてたなぁと思います。

 

お風呂だって私が洗ってから娘を洗うし(夫も同じく)、泣いててもトイレは行くし、飲み会にいきたければ夫と掛け合って面倒を見るように手配するし、何より大好きな仕事をしているし。

娘にとって、私は「良い」母かどうか分からないけど、Facebookには決して書かなくていいので私と娘の間で風通しの良い、信頼のある人間関係になっていたいなと思いました。

 

みんなのお母さんも「お母さん」だと思うし、でも必ずどのお母さんも「いつもベスト」だったり「いつも子どものことを第一に考える」わけでもないのが、現実の姿ではないか?と思います。

子どもはもちろん、何よりも大事なのですが、優先順位の「第一」かどうかは時と場合によります。今朝だって「保育園間に合わないじゃないか〜」ってことで夫に代わって娘を起こしたし。

第一、というのが何をさすかによって変わるとは思いますが、親の都合で動くこともいっぱいあって、そこのあたりはコミュニケーションで子どもにも納得してもらいながら進んでいくしかないのかな、と。

 

おそらく大人になって親元を離れるとお母さんの姿と言うのは目が悪くなった時みたいに輪郭がぼやけてあいまいで優しい感じになるんだと思います。

個人にしろ、集団にしろ、いろいろなできごとにしろ、美化することが必ずしもよいわけでもないというのもあり。

 

ただ、まあお母さんに対してなら、それはそれでよしなのかもしれません。全部、現実を直視していたらやってられないし親子関係がいきづまってしまうこともあるし。

 

「今ちょっと2割増しで良く書いちゃってる」っていう自分の位置を認識できればよいのかもしれないですね。

母の日から発展して思いがけず母親について考えさせられました。