子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

くだらないケンカの考察

昨日も今朝も夫は私に怒り心頭でした。

昨日の夜は確か…疲れててすぐに思い出せないのですが、そうだ、夫は人との関係でバリアを作ることがあるよね、という話をしたらどうもすごい爆弾だったようで説教コースでした。

ひどく疲れていたので平謝りして即寝しましたが、どうやら夫としては「僕ほど壁を作らない人に壁があるとは何事か?失礼にもほどがある。無礼だ」ということでした。

そんな深い意味はなく、ただ、夫の生真面目な気質や四角四面すぎる傾向は一種の余裕のなさを与えているのも確かです。

たとえば、音楽を聴いたりテレビを見ていると「そんなバカ番組」とか言ったり「音楽は雑音だ」と言ったり。私からしたらそれも十分に失礼なんですけどね、ええ。

 

と思いながらも今回は「寝る」ことが目標だったのですぐに退散しました。

 

今朝は夫の毛布がベッドから落ちていたのでもう洗濯しちゃえと思って洗濯機に入れたことが原因でした。

そもそも余りきれいじゃない床に落ちた事も私としてはかなりのレベルで不愉快でしたし、何度も毛布を落としていて今週はつかっていないからもういらないんじゃない?という判断で。

 

これも逆鱗に触れました。

人のものを勝手に洗濯に出すとは何事か?と。

 

感覚も判断基準も価値観も全然違うことをつくづく感じます。

実家の父は同じことを言われても「そう?壁あるかな?」くらいだし、布団を洗っても「あーそうなんだ~洗ってくれるんだ~」くらいの感覚でものすごいゆるーいんだなということを感じます。

 

それに慣れているせいもあり、夫がこの世の終わりとばかりに怒り狂うのが本当に謎に感じます。

でも、ふと思ったのはどんな些細な話であってもそれなりに言葉でぶつかるって大事だなということ。

やいのやいの、あーでもない、こうでもないと言い合うのは疲れますが、「へへー左様でございますか」と謝って引き下がって裏で泣いてて(という姿を夫のご両親に見てしまったり)というのは、すごく不健康な気がしました。

 

相手に言いたいことが言えない、自分のやりたいことができないというのは、精神的支配をされていることが往々にしてあると思います。

「あら、そうなの?ごめんね」といっても一切許さない夫に、私はいつも新しい地雷を踏み続け、夫の憎悪をかきたてているようです。

でもそうやって「屈しない態度」が私の頑固さであり、「支配関係にならないぞ」という態度証明だと思っています。

私が折れれば雰囲気的にはうまくいくのはわかるし、私が謝るまでは会社もいかせてくれない勢いなので、誠心誠意謝ることもありますが、それでも自分自身の思いや行動は素直に出していきたいと思っています。

 

家の中まで無理したくないし。

夫にも同じかそれ以上に強い思いがあるのだとおもいますが、思う存分いいたいことをいいあえればいいような気もしたり。もちろん「言ってはいけないこと」もあるけども。

 

ただ、尾を引く夫にはなかなか難しいようです。私みたいに忘れっぽかったらだいぶいきやすかっただろうに。

 

娘はまだ小さくて言葉出なくて力も弱いですが、あと15年位して私と口げんかできるようになるといいなと思います。

 

というわけで、家庭内にも言論の自由を。

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