子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「嫌いな人」は機会損失

 昨晩、夫が誰かと電話で話し込んでいました。

敬語だったので親兄弟じゃなさそうで、仕事でもなさそう。

 

誰かなーとか思って後で聞いたら共通の知り合いの妙齢の女性でした。

いろいろ悩みがあるようでしたが、話題の一つに

「あの人は気がつかえないから苦手、避けてる」という話があったようです。

あの人とは、私の親友のことだったようです。

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なんでも、数人で食事に行った時に「旅行気分で、関西を思いながら食べよう」と誰かが言ったことに対して、その子が「関西嫌い」と言ったからだ、とか。(親友は関西出身なんだけど。だからそこまで嫌いでもないはずだけど。)

 

ほかにも、妙齢の方の娘さんとの会話で、おうちに楽器があると話したらえらく驚かれ、その大袈裟な感じに苛立った、とかかんとか。

 

まあ、何か思いがけない話や話題になった時の反応がストレートで、それが妙齢女性やその娘さんたちには苦手だったとのこと。

 

よくある話です。

誰かと人間関係がうまくいかない時の典型例を見てる気がしました。

 

私も随分、人間関係は研究してきたつもりですが、こういうふうな事例でどうも気が合わない人が高校時代にいました。

 

こっちは直球ストレートを投げているのに送りバントみたいな、見逃し、みたいな。カスっと肩透かしを食らうような感じがしちゃうというか。

 

でも、30数年生きて気づいたのは、「誰かを嫌いになったらその嫌いな人からはもう何も学べなくなる」という真実です。

あ、苦手、いや。

そう思うと、その人と向かい合う時の最初の反応は「防衛」です。もしくは「攻撃」。

 

受容とか共感なんてはるかかなたの話です。

 

私もすべての人に対してなんの曇りもなく付き合うことなどできず、「あーやだやだ!」なんて思うこともありますが、時間をおいてでも出来る限りは自分の気持ちを近づけるように、苦手意識は克服できるようにと願っています。

 

嫌いな人がいれば自分の心は閉ざされるし、それは自分の良さも長所も生きないということになると思います。

人だけでなく、日々の行動もきっと言えると思いますが。

 

嫌い、苦手と思う人の中にも良さがあり、学ぶべき点も少なからずあるものです。

深く付き合う必要はないけど、心は限りなくフラットでいられるように、自分の苦手な人は自分を変える、鍛えてくれる存在でもあると思います。

 

あーだこーだ、言いながらも、そういうふうに自分が砕かれて変わっていければいいなと思いました。