子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

電通の女性社員が過労自殺。今更ながら思うこと。

 電通の女性社員がわずか25年の命を自ら閉じてしまった事件で、特にネットを中心にたくさんニュースが出ていて、いろいろ考えさせられ、最終的に腹落ちだったのは以下の記事。

monthly-shota.hatenablog.com
電通過労自殺って感じするけどそんななの??」という私の素朴の疑問から珍しくこの事件については父親と夜な夜な熱く語りました。

  • 単純に労働時間の問題でもなさそう。
  • 業務内容がハードすぎたのか。
  • 残業時間の申請方法がアナログ......

みたいな話から、1999年当時、最高裁まで行って過労死が認められて、かなり是正をしてきた電通が、それでも過労による死を招き続けるって一体どういうことなんだろうか、という解決のない問を延々と話していました。

結論から言うと、「時代が変わったんだね」という話になってしまって元も子もないんだけど、そもそも25歳の若者に長時間残業をさせるほどの仕事を普通は振らないし、仕事はチームで進めていくものだから一人で残業とかもないし、そもそもここの部署なりチームのメンバーは一体どんなタコだったんだろうか、みたいな話になりました。

 

忘れもしません。小学校2年のときの宿題で「父親の仕事について話を聞きましょう」みたいなものがありました。

「広告代理店」なんて、小2には想像もつかない仕事で(それは就活時にも残念ながら同じだったけど)、全然取っ掛かりがつかめず「えーと、その仕事って楽しいの?」って聞いた記憶があります。

そのときに父親が教えてくれたのは「お客さんから頼まれたイベントや広告などをどうやって作っていくかを考えたりするんだけど、一人でやるんじゃなくて、デザインをする人がいたり、言葉を考えたりする人がいたり(コピーライターのことだろう)、いろんな人が協力してチームでやるんだよ!すごくそれが楽しい^^」と言ってました。

おそらく、今でも本当はこういうシンプルな仕事な、はず。

メンバーの1人1人がお客さんとその先の消費者の満足に向かって、大きく言えば幸福に向かって頑張る、全力コミットする、みたいなお仕事なんだろうと思います。

でも、きっとネット広告とかメールとかいろいろな文明の進化で効率化とかスピードとかそっちが優先というか「良いものを作りたい」だけでは誰も許してくれない時代になったんだろうなと思います。

父親にインタビューした当時はまさにバブル期。全然帰ってこなかったけど、そして築地に遊びに行ったときに思いの外、古臭いビルだったけど、すごく忙しくてすごく儲かって、もう少し人が人を見る余裕があったのかなぁ、なんて思います。今も昔も、パワハラはあっただろうし女性蔑視はもっと厳しかったかもしれないし、全てが憶測だけども。

でも、父親の背中からはつらそうな感じを見たことはなくて(出世しなかったからかなぁ)唯一、50代なかばで管理職になったときに「現場が一番楽しい。いつまでも現場にいたかった」とつぶやいたことが印象的でした。

父親から出た疑問は

  • 汐留になってから入館証でタイムマネジメントしてるんだから何時間残業とか自動的につくはずなのになぁ(70時間分は認めないとかイミフ。そんな制度だったっけかなぁ)。
  • 若手にそんな仕事を押し付ける上司がおかしい。そのさらに上司はいったい何をマネジメントしてるんだ。
  • 今回の労働なんとか署が査察に入ったのは見せしめなんじゃないか
  • 同期の人がいるはずなんだけど。同期のつながりって結構強いはずなんだけどどうしてたんだろう(今は昔の話か。。。)

ということでした。見せしめっていうか事実、最悪の事態になっているのはそうだからきちんと調査したほうがいいとおもうけど、私も父親も「時代かしら」と思ったのは、仕事をしていても「自分の功績のため」に向かう人が本当に多いこと。

「仕事って究極他者のためにやっていくことであり自分のためにやるのなら趣味にしておきなさい」って話を10歳くらい若い人って全然理解してくれない現実があります。

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で、なんでも笑えればよいとおもっていて品のない自虐ネタ、いじり、そういうところでお茶を濁して本当に大事なこと、必要なことが蔑ろにされてしまっているような、ため息の出るほどレベルの低いやりとりとか。

まさに私の職場でも繰り広げられていて、幸いにもパワハラはないから恵まれているけどme me meみたいな人が本当に多いなぁとびっくりします。

私がどれだけ可愛いと思われるか、自分がどれだけ傷つかないか、自分が怒られずにうまく切り抜けるには、、、

だから、私などおばちゃんが「これは、こうですよ」みたいな指摘をしただけでビビる、居直る、言い訳する......という面倒くさいやり取りが発生します。

「あんたが傷つこうが悩もうが、クライアントやユーザーさんに不利益なことは提供できないんだよ」っていうところでイマイチ伝わらない感、というのがとてもあるし、繊細といえば繊細、軟弱といえば軟弱、みたいなところがあるなぁって思います。そういう人が(むだに)社会人歴だけは順調に歳月を過ごし、いつの間にか上司とかになってるんだろうな、と。

そうするとマネジメントするときにも「自分にとって良いように」という思考になるだろうし部下のために自分が粉骨砕身なんてないんだろうな。servant leadershipとか知らないんだろうなとか嘆息。

それもこのネットの時代と関係あるのかしら、ないのかしら.......

わからないけども、良い上司に巡り会えることもすごく貴重になってる時代なのかもしれないと思いました。少なくとも、亡くなった彼女に投げつけられた言葉というのは会社の中とか外とか関係なく、人として品位を疑うものであるし、私なら匿名かなんかにしておいて人事に訴えるかもしれないなぁ、なんて思いました。

 

さて、私も転職から1年が経ち、昨年の今頃は毎日、首になる、癌になる、寿命が縮まったと思っていましたが、今はやいのやいのと言いたいことを言えるようになり年相応の遠慮のなさも顔を覗かせています><

色々悔しい思いもするけど、父と話していたのは「良い上司に恵まれるかどうかで仕事って本当に変わるね」ということでした。

上司、同僚、部下という身近な存在との信頼関係がどこまで深く築けるか、は良い仕事ができるかどうかの分かれ道であり、仕事が楽しいかどうかの分かれ道だな、と。

 さて、産休に入り何かと「体力の限界」も感じるこの頃。若くないんだな〜ということも思いますが、なんだかんだとずっと社会で働き続けていて仕事って辛くも大変でもあるけど、やっぱり楽しいものだなと思います。

これ以上、若い人が追い詰められて自殺するような社会であってはいけないです。

ネットのせいかもとか時代のせいかもとかも思いましたが、きっと日本は子どもへの政策が弱いように(どこかのおばちゃん政治家が『保育とか子育てにかかる社会保障費を軍需費に回せばいい』とかのたまったり)若い人や子どもを正しくケアしない傾向にあるから過剰に自己防衛が強くなるのかなぁ、それで興味関心が自分にしか向かないのかなぁ、、、。

なんだか、良い社会と思えずにずっときてるけど年も年なのでこの国が良くないならそれを良くしていく責任は大人の自分にもあると思いました。