子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

小林麻央さんと思い出した一粒の麦の話。

23日の昼間、仕事をしていたら患者さんから「小林麻央が亡くなったってよ」と聞かされ、訃報の第一報を耳にしました。

昨年乳がんを公表して息子さんが当時まだ3歳。うちの娘と同じ年に生まれたのでなんだか親近感があり、がんばってサバイブしてほしいと陰ながら応援していました。

その後も、子どもの成長やイベントに合わせて退院したり治療を頑張っている様子をニュースやブログで知って、がんばってるなぁ、なんて前向きなんだろうと思っていました。でも、ヤフコメには心無いコメントも多くてひねくれたネット社会を垣間見たり。

 

そんなこと、ものともせずにブログを更新し続けることでご本人も自分の気持ちに、いまを生きていることを確認していたのかもしれません。

 

この、BBCの記事は本当に素晴らしいなと彼女の強さや心の豊かさを知る切っ掛けになりました。

www.bbc.comそもそも恋のから騒ぎに姉妹で出ていたことがきっかけで芸能界に入ったようですが(違うのかな)、いずれにしても私の印象は女優でもなく局アナでもなく、タレント?なんだかわからないけどキャスターやってて海老蔵とあっという間に結婚したお嬢さんというイメージでした。

一方の海老蔵といえば米倉涼子と付き合ってるとか女性関係が激しいイメージ。

 

だから2人が結婚すると知ったときは「大和撫子っぽいから歌舞伎に馴染むとかなのか」など勝手に邪推していろんな芸能ニュースの1つとして正直それほど興味を持てず...。

海老蔵が暴行されたときも救急車とかパトカーとかどっちを呼んだかで梨園の人が横槍を小林麻央に入れたとか入れないとか、くだらない女性誌の記事を読んで、海老蔵が悪いのに奥さんが怒られる世界って大変だなと思いました。

 

この夫婦のイメージはそこで止まっていたのですが、乳がんの公表以降は知らず知らずに2人の軌跡を遠くから知ることが多くて、印象が変わりました。

思っていたよりもずっとずっと強くて優しくてまるで聖マリアのような小林麻央さん。

家族を大事にする思い、ここまで苦しい中でも他者を思いやるって誰でもできることじゃないと思います。

 

今、病院勤務をしていると本当に些細な事で看護師さんを怒鳴る患者さんもいるし、ナーバスになって退院を泣きつく方もいます。

急に病気になってできなくなってうまく行かなくて苛立ちや不安の中にいることを思えばそういう患者さんも仕方ないと思っています。

小林麻央さんもきっとそういう真っ黒い、先の見えない、先のないとてつもない恐怖に襲われて泣いたときも苛立ったときも数え切れないほどあったと思います。

 

でもきっといつからか「そういうものに支配されない生き方」を目指したんだろうなと思います。

 

乳がんが本当に憎いと思いました。乳がんに限らず、世の中の病気って本当にいやなものだな、と。

 

彼女の人生は彼女が言ってるように若くして乳がんになり、幼い子を遺して亡くなったかわいそうな女性、というだけではないというかそんなんじゃない気がします。

 

きっと、息子さん、娘さんからしたら生き死ににかかわらず、最高のママに変わりはないし、一緒にいられた時間は少なすぎてつらいこともあるだろうけども、ママのこどもでよかったときっと思って生きていくんだろうなと思います。

小林麻央さんが家族に遺したものはきっと家族一人一人の生涯を通して宝物となっていくだろうと思います。

 

私のように直接あったこともない、遠い人間ですらも励まされたり教えられたことが多くあります。自分も周りの人に優しさや思いやりを伝えていける心の豊かさ、広さを持ちたいと思いました。

 

亡くなったことを知ってすごく悲しく、さびしく、きっとがんを乗り越えてくれると信じていたのでやるせない気持ちです。

でも、生きていても亡くなった今でも、そしてこれからも彼女がこの世の中に生きて「何か」を遺した事実は変わらないし、その「何か」をとおして私を含めたくさんの人が励まされたり学んだりしていていくこともきっと変わらないでしょう。

畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。

ヨハネ福音書 12:24

彼女の死を知ってこの言葉が最初に思い浮かびました。

彼女によって結ばれた実は絶対にあるし、そういう一つ一つの「実」を通して彼女のスピリットは行き続けていくのだと思います。

それは尽きない命だし、彼女から受けた影響、人の強さや優しさなど、大事にしたいなと思いました。

 

なのに。心の狭い自分に嘆く日々です。