前回書いた内容とはまた別角度で考えてみました。
hopeforchildren.hatenablog.com
いわゆる「価値観の違い」を離婚理由に上げるカップルは多くいます。
最近、価値とは何かを考えることがあり、私もまたこの理由に行き当たったわけです。
人は生きている価値があるとかないとか、自分には価値があるとかないとか、そういうことを言いたがります。
私もそういう禅問答のような議論が割りと好きな方でつらつらと考えます。
生きる価値とか私の価値、とかいうときの価値ってなんだろうと思うと、たとえばそれを知る手がかりとして「何を大事にしているか」ということがあるとおもいます。
その「大事にしているもの」は人によって違いますし、夫婦とて一緒ではないです。
夫はよく「僕の大事にしているものを大事にしてほしい」と言っていました。私はそれがうまくできずにいました。彼の持っている価値と私の価値がぶつかりあうばかりでなかなかお互いに受け入れあえなかったわけです。
受け入れられない場合、お互いにそこを避けて触れずに歩んでいければよかったかもしれないですが、夫は夫婦の理想もあったので現実の私との折り合いもつかず、苛立っていたと思います。そういう夫に疲れている自分がいました。
同じ価値を持って生きていけると思えていた時もありましたが、根本的にお互いの受け止め方を変えない限りは表面的なことでしかなくて、砂上の楼閣だったなと思います。
価値観の違いと一言でいうのは簡単ですが、その価値とは何か、といった哲学的問を語り合える関係だったら良かったのかなぁなどと思います。そういう話ができなかったのも私はちょっとつらかったですし、キルケゴールがね、とかカントはさ、とかハンナ・アーレントはね、とか言うと「だれ?」となり、その「誰」を説明するのに時間がかかるから本題に行けない、みたいな事が多かったなー。
哲学者は知らないのも仕方ないけど、
それはもう津々浦々、マツコ・デラックスも福士蒼汰も誰も知らない(それをちょっと誇らしげにいう)ので日常会話もなかなか入っていかなくて大変だったなぁ、なんて振り返って思いました。