子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「子どもが嫌い」を考察する

友人は大の子ども嫌い。子どもを見るだけで不愉快な気持ちがして、同僚が子どもの話題で盛り上がっているとハラスメントに感じると言います。

会社のイベントなどで子ども込みでの参加を提案してきた同僚には「殺意」すら覚えたとのこと。過去、一緒に働いていた時に、「ファミリーデー」があり、うちは連れて行かなかったのですが、同僚は連れてきていました。

まさか心の中で憎しみを深めていたとは。

 

一方で彼女はこうも言います。「元カレの子どもならほしい。彼の子どもは産みたかった」と。

子どもが嫌いでも好きでも、それは人それぞれだと思うのですが、子どもの話題も含めて相手を呪いたくなるほど憎むというのは、また少し違う(好みの範疇とは言えない)気がします。

彼女の心の中で何が起きているのか、話から推察するしかないのですが、本人なりの分析を含めて考えると、小さい頃からの親との関係に理由がありそうです。

 

小さい頃から私立小学校に通っていてテストの点数が良くないと認められず、頭は非常に良かったようですが、それでもさらに上を上をと求められ、少しでも親の気にくわないこと(高校生でお化粧した、ティーンズ向けファッション誌を持っていたなど)があると背中や腰、太ももなどをベルトで殴られていたそうです。

 

それに親との何気ない会話が気にくわないと、買い物先でも罵られたり。一度などは出先で置いていかれたそうです。

 

そう言う日々はなんと苦痛だっただろう。

なんと悲しかっただろう。

寂しかっただろう。

彼女の子ども時代を少し想像するだけで私も胸が痛くなり、切なくなり、今目の前で踏ん張って生きている彼女に「よく頑張ってきたね」と心から思います。

 

「子育てなんて好みでしょ」と言われて「それは違う」と思いながらもうまく反応できずに聴いていましたが、子どもを自分好みに仕立て上げて「一生子どもは親の従属物」と言い切る親を見てきた彼女にとっては、子育ては嗜好品の一つくらいに思えるのかもしれません。

 

「そんな親なら縁を切ってしまえばいいのに」。そう思うことはとても簡単で、別れた夫も虐待を受けて育っていたのでそう思うことがよくありました。でも、親から否定されればされるほど、「認めてほしい」と言う切実な気持ちが強いことを感じます。

離婚の一つの原因となったのが夫の進路でしたが、親の願う職業に親の願い通りの形でなることを彼は選び、今は親からも認めてもらえているようです。

「条件付きの愛情なんて。そこまでして認められたいのかな」と思わなくもないですが、どんな形でも、どんなに小さくても子どもにとって親から受けるものは100%とも言える威力があります。

だからこそ、彼女は今も親から受けた影響に苦しんでいるし、自分の親の持つ価値観を捨てきれないのだろうと思います。

 

子ども時代、幸せじゃなかった人にとって子どもの存在や子どもと関わることを強要される環境はやはり苦痛でしかないこともあるのだろうと思います。きっと、そういう苦しさはその人なりのペースで上手く付き合って行ったり乗り越えていくステップがあるのだと思いますが、そこに正解はないし、話を聞くくらいしかできないなと思います。

ただ、友達として話を聞いているのでどうしても「私の考え」や「価値観」が自分の中に強く出てくることがあり、仕事だったらもう少しゆっくり気持ちを聞けるかもしれないのに、と思います。

 

そういう意味では「人の話を聴く」ことは、その人とどういう関係性の中(立場)で話を聴いているのかが聴く側にとっても、話す側にとってもキーとなる気がします。