子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

私は私、あなたはあなた。

どなたかのlikedがあったのだと思う。Twitterのタイムラインでたまたま見かけたnoteのリンク。朝の忙しい時間にも関わらず、一気に読んだ。

そして心に留めておきたい、考えたいと思ってタイムラインにシェアさせてもらった。

 

 

私自身は先天性の疾患はなく元気に成長したけど、大人になってつまずいてしまった。

大学4年では飽き足らない歳月を、いわゆる青春を棒に振った。棒に振ったかどうかはアレだけど、過去振り返っても遠回りしちゃったな、やりたいことできなかったなという後悔とか無念さがにじむことは、まだ時折ある。

 

二十歳前後の頃、心身を病んで何度か大学病院に入院した。主科ではない病棟に入院で治療し、いよいよ閉鎖病棟に行かされちゃうという一歩手前で退院したけど、本当にもう家族中でちょっとした地獄だったと思う。

 

あまりにも体が弱り切るというか細くなりすぎて自力ではもう立てなかった。たてなくないけど、床からは立ち上がれなかった。体の肉がなくなりすぎて。

 

あまりにも病んでいたのに全然、「元気な自分」になれなかった。

全ては私が悪いのだけどその時に母が「こういう育て方が悪かったのか」と言ったことがあった。

子どもが精神的に蝕まれると大抵は親、それも母子関係に原因があるとどの本にも書いてあったから。

当時の私は、それを聞いた時に「は?どうしてそんなこと考えるの?私の人生が母親と私だけの関係で成り立っているとでも思ってるの??」と口答えした記憶がある。

きっと母もそのことを覚えているだろう。何年か後になっても「あの時にああ言われたから、少し気が楽になったのよ」と言われた。

 

でも、真実そうだった。

私の今の歴史認識は間違いなく社会科目の教師から学んだことが大きいし、基本的にあの頃に出会った教師たちの持つ社会正義とか倫理とか価値観を私も身につけてると思う。

それに割と人を信用するのは大好きな親友たちのおかげだ。

本当に心から支えてくれる友達がいて、他人へ信頼を置くとか心を開くということを何度も経験することができた。

母の影響ももちろんある。けど、それがすべてではない。そんな狭い世界では生きてないよ。

 

母親が「私の育て方が悪かったから」と思うのも、私が「私のせいで家族が苦しんでいる」というのも、どちらにも「あんたたちバカかよ、反吐が出るよ」とは言わなかったけど、冷淡に見ていたのが姉だと思う。

姉は、「そういう原因探ししてどうするの?」とも言わなかったけど、ただただ、病気に関係なく私を3つ下の妹として、20歳の、21歳の、22歳の人としてしか見てなかったし、その時に田口ランディさんの本とか東野圭吾さんの本とか、姉が好きと思うものをランダムに貸してくれた。

特に田口ランディさんの『できればムカつかずに生きたい』はバイブルかというほど読み倒した。

いくつか病から立ち直るきっかけがあったけど、その本との出会いは大きい。

 

とはいえ、病気になってから親の顔色を窺うようになってしまってなんとなく母が今何考えてるのか、何を思ってるのかを先回りして生活するような日々だったから就職を機に実家を出ることにした。

結婚、出産、そして離婚もありの今だけど、今は母親とはきちんと距離を取れるようになった。母が不機嫌でもそれは私の知ったことではない。

私が原因だとしても、「不快の要因(部屋が片付いてないとか散らかってるとか)」を取り除いた上で不機嫌なら、知らない。と思う。

 

母の思うあれこれに付き合いすぎなくていいし、私の気持ちに母が寄り添い続けなくてもいいと思っている。

そして変えられない過去にあの時こうしていればああしていればと思って欲しくない。

すごい厳しくて人の目を気にする母だったから、私は今、外で働いててアンテナを張って人の心の機微を多少読めるようになってるし「こういうあり方がきちんとしている」というのはわかっている。できてるとは絶対に言わないけど。

 

原因探しをしている時間より、今、これから何をする?どうしたい?の方がずっとずっと展望が開ける。

私はなんで病気になったかいまだにわからないし、もうわからなくてもいいやと思うけど、私の経験が誰かのしている経験とはまったく違うし、軽はずみに「わかる〜」なんてもおもわない。

未来の話を無責任に語るのが最近はマイブームで、息子のFBI話とか、スパイダーマンに電話してくるとか、タカさん(あぶない刑事)に成り切って「大下!」って電話してるフリをする息子が可愛くて大好き。

何にでもなれるよ。