子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

小学2年生の時の話。

先日Twitterを眺めていたらこんな話が出ていた。

子どもが授業中に遊んでいたら、立たせられて先生が机を蹴った。

まだ1年生なのに。

これを読んで、昔も今も小学校の先生ってこういう人いるな〜と妙に感心してしまった。感心ていうかは呆れるに近いけど。

小学校2年の時、女性教諭が担任だった。定年が近くて私は心の中で「BBA」と読んでいた。とにかく怖い。いつだって怒るのだ。

ホウセンカの種を一人5粒だったか配られたことがあった。

教室かなんかで配られて絶対なくすなと言われ、手に持って上履きを履き替えて花壇までみんなで移動したのだけど、落とすよね、まあだいたい。

で、落とした粒だけ拳骨で殴られた。

私は2粒無くしてたと思う。

そそっかしい男児は4つくらい無くなって力一杯殴られて涙目だった。

 

ランダムに書いてるので時系列はめちゃくちゃだけど、2年生の終わりにお楽しみ会があって、プレゼント交換の時間があった。

当日、200円までのプレゼントを持ってくるようにと言われていた。

近所に住んでる友達が交換プレゼントに家にあった新品のノートと鉛筆を包んで持ってきた。

私は駅ビルで買ったペンだったか置物だったか、なんだかちゃちで可愛い(とその当時思った)文具だかなんだかを買って持っていった。

 

プレゼント交換が始まって間も無く。

近所の友達が突然先生に思い切り弾かれた。

あれ、弾かれたという表現が正しい。

「お前だけなんで買ってこなかったのか。こんなものもらって嬉しい人がいるのか!」と友達が持ってきたプレゼントとともにその子をプレゼント交換の輪から弾いたのだ。

 

私はそういうのが本当に嫌いで「それ、私がもらうから入れてあげて!!」と思った。その場面で言えなかったので所詮私も先生と同じ穴の狢だけど、帰りにその子と一緒に帰って大いに先生の悪口を言ってた気がする。

その子とはその後も遊んだからきっと、あの時の私、すごく怒っててそれを友達に伝えた。その場で言えたらもっと自分カッコよかったかもしれないけど。

 

その先生に、ある日呼び出された。図画工作準備室という渡り廊下の向こうにある小部屋だった。

「お前は家で私の悪口を言ってるだろう」。先生はそう私に聞いてきた。

「言ってません」と言っても

「目が泳いでる。言ってるに違いない」

もう一度「お母さんに言ってません」と言ったけど、最後まで「言ってるに違いない。言ってるって言え」と迫られた。

私よりも前にIくんがやっぱり呼び出されたあと、泣きながら戻ってきたのを見てたから「絶対に泣かない、泣かされない。くそBBA」と心の中で思った。

けど、小2の私はまだまだ生意気さが足りず、弱かった。

考えた挙句「少し言ってる」ってことにした。それで解放されるならいいかなという自分なりの取引。

取調室の自白の強要ってやつだね、今思うと。

そしたら拳骨で殴られて「お前が悪い。親に私の悪口を言うのはお前がおかしいんだ」と言われ、解放された。

気の緩みから涙が滲み、渡り廊下ではやっぱりちょっと泣いてしまった。

でも先生に泣いたことは絶対知られたくなくて、あのクソBBAめ!!と家に帰って母と姉にたっぷり話を聞いてもらった。

そんな思い出があり、小学校の先生の印象ってとても悪くて悪い話を聞いても「そんなもんだよね」としか思えてない自分がいる。

 

あの頃、母はどんな気持ちで私を送り出してたかしら。

昭和の最後の方だったけど学校に行かないのは登校拒否って言われてたし、私にその選択がなかったな。

行きたくなければ行かなくていいと言われつつ、親に言ったことがバレたら先生に半殺しにされると思ったから。

でも、もし今同じことが我が子に起きたら教育委員会に訴えてしまうかも。

 

あれから何十年経ってもいまだに根に持ってるんだから、あの時の先生の発言は私の中では消化できないものなんだろうと思う。

でもよかった。あの後にものすごく最高の先生たちもたくさん出会って、大人不信は免れた。

久しぶりに嫌なことを思い出し、言語化しておいた。