世の中には全く知らないことがいっぱいある。
Twitterを眺めていてふと出会って、気になって読んだのがこの記事。そして元記事。
mirror.asahi.com人生の中で考えたことのない話で、この元記事の炎上ポイントが分かってないので語る資格なしなんだけど、滝薫さんの言わんとしていることはすごく納得がいくというか、私とは考えが全然違うけど、言いたいことがよく伝わってきて、一言でいうと「なんて誠実な人なんだろう」という印象だった。
編集長のコメントも、それはそれで納得がいくけどあまりにも綺麗にまとまりすぎていて、すっきりしちゃうことにすっきりしないという印象だった。
多分、「上野千鶴子」ありき。だから、彼女が何をどう発信しようと揺るがないというか、てこでも動かないし、答えありき(答えとは、だって上野千鶴子が言ったから)なんだろう。
セックスワークや少女売春を例に挙げて「賛成できない」とした上で、「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」と発言していたところが炎上したとのことだけど、それはものすごくステレオタイプというか、大衆向けの言葉ではあるけどそんな話じゃなくて...と記事を読んで思った。
職場でも女性の口から「女の子は可愛さを武器に」とか言い合ってる姿を見かけることがあるし、私も仕事で家族の生活上の役割を伺うときに「家ではご飯作ったり掃除したり、買い物などなさってましたか」と女性の患者さんに当たり前のように聞いてしまう。
今回の話題はセックスということらしいから、そうした性産業従事者が引き合いに出たのだろうと思うけど、なんかこの問題ってもっともっと根深いし、誰もが持っている性役割の話ともつながるだろうと思った。
社会で生きていく中で、セックスワーカーとして働かざるを得ない人もいれば、自らそれに誇りを持って働いている人もいるだろうと思う。
セックスワーカーというと、そこについているイメージもあって、上野千鶴子は意図的に言ったのかも知れないけど、「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」は少なくとも日本社会では本当に幼い頃から目に見えない埃みたいに降り積もっているのだろうと思う。
「男は欲望をあからさまに出してくる」なんていう決めつけも、疑問符を残しながら読んでしまった。
多様性と言われて久しい。
なのに、今だに男ってさ、女ってさ、っていう枠組みで語ることってなかなかもう難しくなってるんじゃないかなと思う。
それで考えたけど、息子が自分の思うこと・考えること・やりたいことを「男の子、男だから」という理由で止めたりしたくない。娘に対しても同じ。
「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」が仮にセックスワークの現場にあるなら、それは今の日本社会の縮図でもあり、そこだけの話ではないし、少なくとも医療現場においても日常茶飯事にそうした話をする人(男なんだから、女性はさ、って)は多くいるし、なんなら自分だってそういうジェンダーバイアスを持ってどぶの中にいるかもなって思ってしまった。
自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。
自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。
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