子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

【敗戦後75年】その日を前に思うこと

一番最初に「戦争」ということを知ったのは、幼稚園の頃だったと思う。

アニメで東京大空襲の様子を描いたものを見た。雨のように降りしきる爆弾の合間を防災頭巾を被って「防空壕」に逃げる子どもの姿が描かれていて、すごく怖かったことを覚えている。その後、何度か夢に出てきた。

 

そして小1の夏。

二十四の瞳」の映画を観にいった。田中裕子の先生の姿に大いに憧れて、私もあの小学生みたいな着物を着たりああいう時代に生きてみたい!と思った。先生と子どもたちの小豆島での姿がただただ眩しかった。

だけど、映画の後半、だんだん悲しい話になっていく。教え子の一人が肺結核になって先生が干し柿を届けるシーンとか、先生もまた肺結核になって咳が止まらないシーンなど、だんだん曇り色が強くなる。

戦争の映画とは思ってなかったけど、あの映画の時代もまた戦争が大きく影を落としている時代の話だった。

母にねだって小説を買ってもらったけど、読めない漢字が3-5行に1つ以上は出てきて読み終わるのにすごく時間がかかった。

 

ただ、それ以上に戦争を意識的に考え始めたのは「白旗の少女」を見てからだ。

ある夏、家でテレビドラマを見ていた。「沖縄の地上戦で生き残った少女の話」と思って見ていたら、最後にアメリカ人が実際に撮影した白旗の少女が映し出された。テレビドラマでは健康的な少女だったのに実際の白旗の少女は痩せ細って歩くのもやっとで、本当にギリギリで生きていた。

その映像も衝撃だったし、白旗の布は破れて汚れていたことも衝撃だった。ドラマで脚色された戦争と、現実の姿の乖離に言葉がなかった。

それから沖縄戦の話はなるべく新聞でも雑誌でも教科書でも読むようにしていた。だけど、小学校の教科書には沖縄戦のことは簡単に書いてあっても白旗の少女のことは書かれていなかった。

 

火垂るの墓も見たけど、やっぱり沖縄戦の話はずっとずっと心に残っていた。

中学、高校ではもう少し前後背景も含めてアジア太平洋戦争を知る機会があって、特に高校2年の時にグループ学習で韓国併合を題材に班長になって調べた記憶がある。ほとんど私の独占で、グループ学習っていうかは私の個人学習に近かったけど、日本がいかに韓国を植民地化していったか、そこでどんな差別があったか、あの頃は図書館に行けばそうした資料が歴史書の中に結構あって、高校生の私でも調べることができた。

 

今でもあるのかな。

あるといいな。

浪人時代に出会った歴史教師のおかげで戦前も戦後史もずいぶん事細かに習った。

例えばこの話も歴史の先生が実際の証言や資料から教えてくれた。

世の中が、社会が、トップに立つ人の暴走によって狂って、市民が巻き込まれる。被害者もまた別の面では加害者で...そういう社会の構造を歴史で知った。

だから社会科の先生になりたいなと思っていたけど、人の前に立って先生と呼ばれることも違うな〜と思っている間に新聞記者になっていた。

新聞記者になってからも広島の被爆者、従軍慰安婦にさせられた韓国人女性が韓国内でも差別を受けていたこと...現代に続くパレスチナ問題...。75年前の戦争の後も、日本はいろんな形で参戦しているし75年前に終結したはずの戦争なのに、その傷は今もまだ癒えていない。癒えない傷もある。それが戦争なんだと考えている。

 

 

私の中では戦争に対する態度というか思いは幼い頃から変わっていない。

絶対戦争なんかしてはいけない。弱い人が強がるためにするのが戦争で、戦争は本当に弱い人が犠牲になる。

そう思っている。

 

子どもを持つ今、子どもにも戦争ってなんだろう、人が人を殺すってなんだろうということを考えて欲しいと思う。

歴史から学べる人であって欲しいと思う。

親の勝手な願いかもしれないけど、どんなメディアに触れて何を学び、自分がどう生きていくか考えて行動できる人でいて欲しいなんて思ってしまう。

 

どうか子どもたちが大人になった時に、そのまた子どもが大人になった時にも戦争が、争いがありませんように。日本も、世界も。