子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

子育て方針の不一致

離婚して3年を迎える。

心がキュッと締まる思いがするのは、元夫との子育てに対する思いの違いだった。

先方からすれば絵に描いたような、典型的な仕事人間の私は「母親失格」であり、「子育て放棄」といわれていた。

そのことは私自身へのダメージは多少あったけど、そう思われても仕方ないくらいに仕事が忙しすぎた。

ただ、そんな評価は一過性のものというか最終的に母親失格かどうかは娘がジャッジするものだからと思うと、大ダメージではなかった。

 

それよりも一番こたえたのは「子どもがいうことをきかなければ叩くこともやむなし」という彼の子育て方針だった。

 

「叩いてもただ恐怖による支配をするだけでしょ」と言っても、「ときには叩いて叱ることも必要。そうでないと舐められる」と言い返された。

この人とはずっと平行線だし子どもに対する態度、接し方に歩み寄りはないだろうと思った。

それにそのことを我慢し続けることはできないと思った。

子どもが小さいうちは叩かれないように子どもの言動、行動をある程度までコントロール(というかは強制的に抱っこしちゃうとか)することはできたけど、子どもが小学生、中学生と進んでいく中で必ず手が出るタイミングが夫の方に訪れるだろうと思うと、暗澹たる気持ちがした。

 

子どもを叩くことを肯定するかどうかは子育て方針のなかで大きなことか小さなことか判断がついてなかった愚かな自分。

だけど今は大きなことだとわかる。

子どもたちは「悪いことをしたら叩かれる」という恐怖に怯えず生活を送っている。私自身、子どもに手が出そうになること、実際に出てしまうことはゼロとは言えない。手首を強く掴んだり、肩を強く押してしまったりということはある。その度に子どもは怖い思いや悲しい思いをしている。

悪いのは子どもだし。そう思う自分もいる。

だけど、大前提にしちゃいけないことをしたという気持ちがあって、ここ1年でずいぶん手を出しそうになることも減ってきたと思う。

私の中の余裕が膨れていったのと、子どもがのびのび生活を送っているからなのだと思う。それに私自身が暴力の力を信じたくないし、信じてないから。

 

だからそのことが心に一瞬でも怒りと共にわくことに自覚的でありたいと思う。

夫と離婚してよかったと思うのは、子どもたちが恐怖や怯えに支配されずに生活できること、人生の選択をできること。

 

暴力で支配された人は、暴力で相手を支配しようとする傾向にあるのではないかと思ったりする。子どもたちには言葉の力をより頼ってもらいたいと思うし、「ペンは剣よりも強し」という有名な言葉もある。

元夫は言葉なんてわからないんだから力で抑えるしかない、と自分の暴力を肯定していたけど、それは対話の放棄だし子どもの持つ力を信じてないのだろうと解釈している。

 

こういうことを思い起こすと、離婚してよかったんだろうなと思う。