子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

自分の「常識」を意識する

先日、患者さんが退院していった。

予定よりも早く帰ったのだけど、その理由が「メシマズ」ってこととか入院生活での決まりのあれこれがお気に召さなかったからとのこと。

そういう人はいくらでもいるし、看護師さんに食ってかかったり、先生に直訴したり、あの手この手で文句を言う。

で、大体は命を差し出しても帰りたい、とかいう。

どれくらいの深刻さで言ってるかはわからないけど「殺す気か」とか「死んでやる」とか平気で言う。

 

なんていうか、それが本当に希死念慮というものであればこちらもきちんと対策や対応を考えるのだけど、ものすごくカジュアルに口にするしケーキを頬張りながらそういうことを言っていらっしゃるので「ふーん」と思う。

 

で、そういう人の話を聞いていると自分の中での「常識」が顔を覗かせる。

先日の患者さんは先生の目の前で紹介状を破り捨てたわけだけど、(患者さんと先生が対立していたということではなく、患者さんが先生のいう通りにはしないよという意思表示としての行動らしい)先生は別段気にもとめずに機嫌よく見送っていた。

 

私はむしろザワッとしてしまい、「社会人として何年、生きてるんだか」といや〜な気持ちになってしまった。

でもそれは私の中に「他者に対する礼儀」とか「人前での言動・振る舞い」という常識の範囲っていうのがあるからだろうと思う。私の考える範囲が他人のそれと違うのは当然で、少し落ち着いて考えれば「いろんな人がいる」という当たり前の社会福祉の原点に立ち返るのだけど、本当にどこまでも学び。

 

で、個人の自分がその態度を取るかどうかは別として、仕事を通して出会う人たちのそういう「常識」はその人のものでもあるから、尊敬はできないけどそれを受け止めることはしないといけないのだろうなと思う。

 

ついつい、ひ!ってなった私は人としてもまだまだだ。