コロナのあれこれ
いつからかTwitterを楽しく使えるようになった。長きにわたってFacebookをアクティブに使ってたのだけど、結婚出産あたりから投稿をグッと減らしていった。Twitterのアカウントを取ったのは娘が生まれてから育休明けに仕事に戻ったあたりだったと思う。
理由はすごくシンプルで、職場の同僚が「ウォーリーを探せ」に似すぎていたから。
なんとなく、どうでもいいけど誰かに言いたくてたまらない。けど、近い人に話すと悪口と間違われたら困るなぁ、よし。Twitterにしよう!みたいなひらめきだった。
そこから月日が流れて今。
世の中は新型コロナで持ちきりで、間も無く1年になろうかという。
あの頃、妊娠初期だった人はすでに出産していたり臨月だったり。そういう年月が流れている。
そして色々とTwitterを眺めていると、世の中の分裂・分断の様相がすごくよくわかる。ついつい、ここ数ヶ月、自分の考えや価値観に近い人の穏やかなTwitterを多めに見ていたせいか、「じゃない方」の人たちの呟きを見る機会はグッと減っていた。
ここまで数が増えてきて、「コロナ脳」とか言って、人を小馬鹿にしていた連中たちはどうしてるかな?と思って、違う意見を知りに行くという旅(SNS内)に出た。
相変わらずすぎた。
2-3月とミリ単位でずれることなく人を小馬鹿にし続けていた。
コロナは普通の肺炎より怖くないだとか、海外は日本の何十倍も患者がいるけど医療崩壊してないだとか。
それに対してまともな医療従事者がまともに反論していると「プライドが高い」だの看護師かよ?的な侮蔑発言だのを繰り返していて、「本当、エネルギーは底無しだね」と思った。
まあ、正直なところ、コロナが流行ってこの1年、病院は毎日目の前のことに精いっぱいだった。
流行のカーブを睨みながら、面会や外出の制限を緩徐したり引き締めたり。
でもほぼ引き締め方向でここのところは来ている。
海外で医療崩壊が起こってないとはにわかに信じがたいし、何を持って医療崩壊とするか?という話にもなるけど、明らかに救急車の搬送先は絞り込まれているし、外来だって本来来なくちゃいけない人が怖くて来れないって状況だし、入院ベッドをコロナのために1フロア設けて受け入れ体制を整えている。
うちの病院はクラスター発生がない分、救急の受け入れがきっちりできるけど、中にはそれもままならない病院がある。
普通の肺炎なら人にうつさないものもあるけど、新型コロナはそういうわけではない。
数だけで何もかも判断しようとすれば、真実は見えなくなってしまうこともあるんだなってことを知った。
で、反対の側にいる人たちの意見を読みながら、色々とこうして考えさせられたので、世の中に180度の意見の幅があるのはそれなりに重要なことだと思った。