子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

離婚と、離婚じゃないの境目。

さいきん、立て続けに離婚しそうな友人から話を聴く機会があった。

離婚した身からすると、離婚しなければよかったと思った日は一日もないから、つまり「離婚してよかった」しかない。

だけど、結婚生活をしているときはどうしたら修復できるのだろうか。私にも非があるのだからそれを直せば関係はきっと変わる。

そう信じて試行錯誤していた。

 

今思えばその時間も含めてあんまり意味がなかったような気がしている。その分、自分の心は侵食されていくというか蝕まれるというか。なんか、搾取されているような気持ちになっていた。

楽しく心から笑う時間、のんびりゆったりした気分。そういうものが吸い取られてしまう。

とにかく楽になりたい。そう思ってその苦しい場所から少しでも離れたいと思っていた。だけど結婚したからなんとか形を整えなければ。

そういう気持ちを行き来してた。

 

離婚を悩んでいるときにはあまり気づかなかったことが一つある。それは「価値観」についてのこと。

元夫は働いてない時期もあったから私はあまり言われたことがないけど、たとえば

  • 誰の金で食べてると思ってるんだよ
  • 甘やかされて育ったんだろ
  • あなたは非常識だ
  • 母親失格(妻としては不合格)
  • 俺の言うことが聞けないのか
  • あなたは間違ってるけど今回は折れてあげる(妥協してあげてるんだからね)

 

などなど。

これって人のことをとても小馬鹿にしているし、自分とパートナーは対等じゃないという価値観だからこそ発する言葉。

私は一番上以外は全部言われたことがある。

 

こういう言葉を平気で発する人と、一緒に生きていく意味があるのだろうか。

我慢したり話し合いでどうにかなる問題なんだろうか。

つくづく思う。

もし、小馬鹿にしているつもりもないし、上下関係なんて思ってないとすればそれはそれで重症だと思う。

たとえば、冷蔵庫の手前しか見ないでまたマヨネーズを買ってきてしまったとか、何度言っても靴下を片方洗濯に出さないとか、日々いらっとするようなせいかつの不一致というのはあんまり本質的ではないと思う。

だけど、人間関係の基本スタンス(相手とのコミュニケーションで使う言葉や態度)は片方の努力で変えられないし、鵜呑みにすれば相手が変わってくれるわけではなく、むしろもっと増幅させてしまう。

 

そう思うと、こういう人としてのあり方が基本的に異なる相手と結婚した場合、離婚は大いにありだと個人的には思う。

子どもがいると「子どものためにも離婚を踏みとどまって」と思ってしまいがちだけど、私個人的には、そんな人にこどもをさせたくないからこそ、離れて生活したいと思う。

 

もしも自分の娘がそんな人と結婚したら強く離婚を勧めてしまいそうだし、息子がパートナーにそういう態度をとることがたった一度でもあったら張り倒すかもしれない。

それくらい、人を本当にリスペクトするって大事なこと、と思う。