子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

誰かへの手紙、メッセージ。

先日、Yahoo!のニュースアプリでポップアップメッセージが表示されて非常に考えさせられた。それがこのニュース(?)

 

 

「東京の医療従事者にメッセージを」というYahoo!さんの取り組みなのだろう。

このニュースを見てすぐに思い出したのが、どこかの学校から勤務先の病院に届いたメッセージの数々。

小学生から高校生まで学校も学年もランダムだったらしいけど「がんばってください」「ぼくたちも感染しないように気をつけます」といった、子どもたちのメッセージ。学校主導でやっていることらしく、教育関連の公的機関経由で届いたらしい(詳細は不明)。

院長が、「子どもたちからもこうやって励ましをいただいています」と紹介してくれたのだけど、すごく複雑な思いでそれを聞いた。

彼らの書いてくれたメッセージを無碍にする気もないし、まして否定する気もない。

 

だけれども。

「書かされた」だろう彼らの気持ちを考えると、複雑な思いがする。

 

こんなに誰かのメッセージを複雑な思いで受け取ることもなかなかない。

なんでだろうと思ったら、昨年の夏のことを思い出した。その時も院長から「こういうお手紙をいただきました」という紹介だったのだけど、

「いつもお世話になっています。コロナのことがあって緊急事態宣言中は受診も控えていて、すっかり足が遠のいてましたが、久しぶりに受診したら先生も看護師さんも皆さんが声をかけてくれて嬉しかった...」というような内容だった。

 

それってすごく嬉しくて、励まされるなぁと思ったし、退院アンケートなどで「MSWさんに相談に乗ってもらえてよかった」とか言ってもらうと嬉しくなる。

 

そのことを考えながら、誰かへの応援や感謝って身近なところや身近に感じたことじゃないと難しいのではないか?ということ。

たとえば私が今、息子のお世話になっている大学病院に感謝の思いを手紙で書くことはできると思う。だって、本当に何度も丁寧に診察してもらって、お世話になっている先生がいるから。

でも、全然かかったことのない病院の医療者に感謝の意を述べろと言われても、うーん...大変ですよね。がんばりましょうね。くらいしか言えないだろうなと思う。

 

この医療者へのメッセージを呼びかける取り組みが偽善だとか無意味だとかそういうシニカルなことを言うつもりはないけど、このコロナの状況下で大変なのは本当にそれぞれ、すべての人たちだと思う。

授業が短縮されたり駆け足で学ばざるを得ない子どもたちも、飲食店関連で倒産の憂き目にあっている人も、慢性疾患の治療中で不安とたたかっている人も、障害者や高齢者施設でハイリスクな人たちのケアに日々当たっている人も。

それに、生活を支えるコーディネートをするケアマネも、訪問看護の看護師さんも...。大変じゃない人なんていない。

 

誰かにメッセージを届けるとすれば、子どもたちが身近に見えている世界、目の前の人や自分自身が今日も元気であることへの感謝があればいいって思う。見果てぬ遠くの医療者じゃなくて、自分が心から感謝できる人に、感謝は伝えればいい。

 

そもそも手紙やメッセージは自分が伝えたいことを伝えるもの。

それを誰かの声掛けや、まして強制で書かせるものではない。

 

というわけで、地域のコロナ受け入れ専用病院に心からの謝意を込めて。

患者さんを一人でも多く、うちの病院でも受け入れるべく、転院調整に明け暮れる今日このごろ。