子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「恥」の文化の浸透圧

先だって、当院の院長から「コロナの濃厚接触者が院内スタッフから出ました。会食していたとのこと。この時期絶対に慎んでください」というようなメールが回ってきた。

 

うわぁ。濃厚接触者になっただけでも理由とか状況とかこうやって発表されるのか、うわぁ...やだな。

そんなことを初見で思った。

もちろん、部署も名前も公表されてないし誰のことだかまったくわからないけど、2000人近くいる職員の中で一人でも濃厚接触だとか陽性になった場合に職場に与える影響って相当だな...と思うと、自分がコロナになるとか濃厚接触になるとか以上にげんなりする。

 

これってなんだろうと思っていた。多分「恥」っていう思いが強いんだろうな。

日本人離れした日本人に「そういうのって日本独特の文化だよね」と指摘されるけど、全く否定できない。

何もこの職場の話だけじゃなく、子どもが他のお子さんとトラブってしまうと「うちの子みっともない」みたいな感情を抱いてしまう。

 

全く人間関係のない話題(子どものトイレのこととか食べ物の好き嫌いとか)の中のことであれば気にならないのに。

「恥ずかしい」と思う感情の中にも、単純に何かが暴露されて恥ずかしいというものだけではなくて、自分が自分としてイメージしている像やこうありたい(職場で言えば変な感じで目立ちたくない)とかいうことにむすびついているのだろう。

 

逆に、誰かがみんなにさらされた時(コロナ感染者のAさん、みたいな)、「大変だね。大丈夫かな。あの時元気だったのに...」くらいの感想しかないのに、どうして自分に対する自分の思いは肥大するんだろうってすごく不思議。

「誰も咎めないよ」というのを頭で理解していても「そんな馬鹿な自分は100年先まで恥を受け継がれる」的な思いに苛まれることがある。

病んでるな。

 

とにかく、今は職場と保育園と家の三角移動ばっかりだし、週末のスーパーも最小限だし、きっとだいじょうぶ。

そう思いながら過ごしている。私の心を恥という感情が支配しているとは。

あんまりヘルシーじゃないな。

またコロナの話ばっかりなっている。明日はやめよう。