社会保障など仕事の話。
仕事がら、社会制度につなげることが多い。
生活保護だったり、労災だったり、高齢福祉だったり、障害福祉だったり、それは多岐にわたるし患者さんによっても必要とする制度が異なる。
それに重複しているケースも多い。
まだちゃんと見ていないけど共産党の小池議員が生活保護の申請のステップにメスを入れてくれているらしい。
昨日は現首相が機密費を総裁選に使った(よね絶対!)疑惑にメスを入れていた。舌鋒鋭い。
扶養照会についての疑問と議論だったようだけど、幸いにも私の働く近隣区では扶養照会で保護申請ができなくなってしまったケースはない。
扶養照会で保護申請を諦めてしまうことも今のところはなく、相談員さんが割と親切に、「形式的なものなので」と言ってくださる。
それで「ま、いいか」くらいの思いだったけど、よく考えたら切手の数十円、数百円ももったいないから生保の予算に入れてあげてほしい。
あれで実際に「叔父さん!私が扶養しますのに!」という人はどれほどいるのだろう。
出会った限り、ギリギリの限界まで家族が支えていて、でももう無理となっているケースが多かったり、身寄りのない人が多い。
騙すとか、不正とかとんでもない。突然の病気で思考力も落ちてしまっていて、働くこともできずに、でもなんとか生活を整えていくための策として生活保護の活用があったりする。
担当患者の1割以上は生保だし、珍しくもないから申請へのハードルが異様に低いけど、Twitterなど眺めていると「拒否された」とか「申請できなかった」とか嫌な思いしている人が多いらしい。
私も何度となく申請に付き添うけど、申請できなかったのはどうしても条件を満たさなかった時。どうしたら条件を満たすか確認して、満たしたらすぐ受け付けてくれたから、そこまでひどい扱いを受けたことはなかったものの、市区町村で大きく開きがあるなぁと思う。
私の住む区は世知辛いもいいところ。
社会のセーフティネットの利用は人によってハードルが高かったり、精神的に受け入れ難かったりもするのだろうけど、生きていくためにある制度は活用しながら今日も、明日も生きようって思えるといいなと思う。
お金がないとかで死にたくなってしまうような世の中にはしたくないな、と。
だから、今日、ずっと退院後もやり取りしていた患者さんが、労災認定を受けたという報告を聞いたときは涙出そうなくらい嬉しく、安心したよ。
一生懸命働いたことが病気の引き金になっているのなら、それは認められて生活も治療も保障されていく、っていうことが当たり前といえる世の中であってほしい。