子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

倫理のはなし

昔から倫理というものに興味があって、その興味が高じて「倫理を学問的に学びたい」と大学は倫理学を学べる大学に進学した。で、もちろん倫理学専攻に落ち着いたのだけど、やっぱり今でも自分の中では倫理というのは襟を正されるというか立ち戻るべき場所という意識が強くある。

 

どんな仕事にも「職業倫理」というものがあると思う。

以前にしていた編集職でもメディア人としての矜持とか倫理観というのがあった。たとえば取材対象者が利害関係の外にあることとか、利害関係から逃れられないとしても、その環の中の存在ではなく、一編集者として伝えるべきことを記事にするとか。

そういうのってギリギリのところで闘うこともあるし、はねのけなくちゃいけないこともある。

どんな仕事においても、そうした倫理というのは大なり小なりある。

 

今の仕事では、きちんと公的団体(職能団体)で倫理綱領があって、何を志し、何を成し、何をしてはいけないのかとういことの指針が明文化されている。

医師にしろ看護師にしろ、保育士にしろ、国家資格のほとんどか全部、こうした倫理綱領があって、それに則って職務を遂行すべしと思うし、そこから外れていないか?というのが自分の仕事での迷いが出たときに振り返ることもすごく大事だと思っている。

 

つい先日のこと、退院する患者さんが「これ」といって封筒を渡してきた。

明らかにお金。受け取れないと断ったものの、いいから!とポケットに入れてくださった。

その場でそれ以上断るのは患者さんのプライドを傷つけかねないと判断し、一旦受け取ったものの嫌だなと思って、上司と相談して結局現金書留でお返しした。

 

患者さん本人には「気持ちは受け取りたいけど、元気になってくれたことが一番だから、形で御礼はなくていいんだよ」ということを丁寧に伝えて、お返ししたけれど、これは一つには倫理的価値判断があるからだと思う。

患者さんは退院するまさにその時だったから、利害関係は生じないし私の支援がこの金銭の授受で変わることはないけど、「変わらないから受け取っていいのか」というと、私はそうではないと思う。

こと、金銭は扱いがすごく難しい。

 

受け取らないのが一番だし、「もらわない」ということで貫けば今後再びその患者さんと出会ったとしても「更な心で向き合える」という関係性でいられると思う。

 

私の仕事を金銭で評価できるのは職場だけであって、患者さんは医療費をお支払いしてくださっていることでもう十分すぎる。

 

スガだかなんだか、どこかのおぼっちゃまが総務省の官僚と夜な夜な宴会に馳せ参じていて非常に腹が立つことのひとつに「倫理規定違反」とか認めながら、その倫理がどれほど重要であるか、重いものかを全然違反者が意識していないと思われるような処分だったから。

倫理がすべてを解決するわけではないけれど、倫理はすべてにおける行動指針になるし、倫理規定に反することはするべきではない、それは誤った選択であることくらい愚かな私でもわかる。

何よりも、倫理は自分をまもってくれるものでもあり、道標にもなるもの。

 

倫理とて、時代によってその規範が変わるのだから万能とは思っていない。万能なのは全知全能の神様だけ。

だとしても、この世の中で一定の共通認識と価値観で社会を守って進めていくために倫理があるし、それをないがしろにするような行為って懲戒免職ものだと思う。