子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

子育ての成功とか失敗とか。

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子育てが成功したとか、失敗だったとか、自分でその判断がつくのはいつ頃のことなのだろう。

娘が7歳を過ぎて、その成長には目を瞠るものがある。

息子もまた、まもなく年中になろうかという今、自分なりに苦手を克服しようとしていたり、余裕のある時間(安定して過ごしている)も増えている。

 

だけれども、彼らにとって今というこの時間は、この先の長い人生のまだ序章の数ページ目くらいにしかすぎないであろう。彼らがどんなに今、すくすくと成長していても、それは親の私の「おかげ」なんかではないなということも、しみじみと感じている。

 

今の子どもたちの成長は、彼らが自分自身で体得していったものの積み重ねだし、親の私がやったことといえば「すごいね!」「ひゃ〜かわいい!!」って褒めそやしたり、時々叱ったりすることくらいで、なんか子どもにプラスとなるような、道標となるようなものを示せているわけでもない。

 

私の両親は私と姉の子育てについて、どう思っているかわからないけど、母と話していると「概ねOK」くらいには思っている気がする。

ただ、何を持って「概ねOK」とするかは人それぞれ。

 

私がもしも子育てについて自分なりに成功や失敗を評価するとすれば「子どもが自立できるかどうか」が重要項目だなと感じている。

 

自立といっても、単純に経済的自立だけじゃなくて、精神的な自立だったり、自分で解決して良いのか、人に頼ったほうが良いのかその判断ができることも含めた、判断能力を備えること。

そう思うと、自分もまだまだ判断を誤ることがあって不完全だし、子どもがその力を身につけるには社会に出ていくつもの経験を重ねていかないと難しいだろうなと思う。

 

今もって自分ができていないことを子どもに求めることはできないなぁと思うし、きっと子どもが大人になったあとでうまくいかないことがあったり、傷ついてしまうようなことがあったときに、「親を頼ってみよう」と思ってくれたら、それで十分だなと思う。

 

多くの親は「子育てをうまくしたいな」と思うだろうし私も多少なりともそう思っている。

ただ、考えれば考えるほど、何が失敗で、何が成功かもよくわからない。

 

子育てに失敗があるとすれば、子どもの成長の芽を摘んでしまうことかもしれない。

成長の芽は子どもに宿っている。親がそれを殺すことは実はすごく簡単だし、生かすことは難しい。だからこそ、子どものキラキラをどうやって守っていけるか?なのかなと思っている。

 

「汗かいちゃったよ!」って言って帰ってくる我が子に、「おかえり!暑かったね!」って普段どおりに過ごせる日々を大事にして、子どもとのいつもの会話を楽しんで、生活していきたい。

 

子育てっていうかは「一緒に生きてるって楽しいね」みたいな感じ。