子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

ヤングケアラーと憲法改正の話

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若くして、介護や看護などをしている子どもたち(若者)をヤングケアラーという。

いろんなカタカナ用語が新しく出てくるけれど、このヤングケアラー(young carer)は英語そのままだ。

先日、趣味で聴いてるラジオで深澤真紀さんが問題提起していて、改めて考えている。

ヤングケアラーの例としては、

  • 父親が早くに死別していて、母親と二人暮らしだったが母親の親が近年、認知症が進行していて孫である中学生の子どもが面倒を見ざるを得ない、とか。
  • 両親とも共働きで非常に忙しく祖父母は遠方。末っ子はまだ5歳で幼く、保育園の送迎や育児を6年生の長女が行っている...。
  • 母と二人暮らしの高校1年の長男。母は精神疾患があり働けず病院の付添も長男がしている...

などなど枚挙にいとまがない。進路を決める大事な時期、部活や進学、就職などいろんな人生のライフイベントがあるのに自分の主体的な生活を選択できずに、家族の介護や看護が中心になってしまっている、そんな若者たちを指している。

 

そして今、日本では自民党による執念とも言える憲法改正がまたもひたひたと迫っている。

実際には数年先だと言われているけれど、自民党は着々と準備を進めている。

私は最大の警戒感をもって現状を見つめている。

その中でも、今回、とくに注目したいのがこの自民党草案の条文だ。

条 

 

ちなみに現行の条文は、

第二四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】

  • 1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
  • 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

一見すると、それほどに違わないように思うかもしれないけれど、権力者を縛るはずの憲法が、国民の生活を縛るかのような条文にさりげなく置き換わっている。つまり「統治しやすい国民形成」のための憲法になっている。

 

被害妄想と言われるかもしれないけれど、妄想でもなんでもない。

もしこの憲法が施行されてしまったらヤングケアラーとなっている若者は「家族の面倒を見るのは当然でしょう」なんて言われかねない。

彼らの学ぶ権利や職業・居住の選択の自由は、どうなるのだろうか。

その前に「。」なんて言われたら...。

 

今の制度だって「在宅で障害者が生活するのであれば、家族の協力ありき」になっている。

家族が仕事を全く変えずに、生活を変えずに障害をおった人と生活を送ることは極めて困難もしくは不可。

そんな状況だ。諸外国はわからないけれど、障害福祉の枠組みでも高齢福祉の枠組みでも、どんな制度を駆使してもカバーできないことは多々ある。

毎度、この壁にぶつかるたびに悶々としてしまうし、社会資源の発掘をしていかねば...と思う。少なくとも「子どもが親のケアをするのは当たり前」ではないし、「妻が夫の世話をするのが当たり前」でもなんでもない。

別に、家族はそれがありきではない。

結果としてケアをしている、ということはあったとしても、若者においては人生の優先順位はそこではない。

学業をして、就業をして、自分という存在の確立(精神面においても)をしていく時期に、そのことに集中してほしい。家族がもしその枷になるのであれば離れるのも大事、と思う。

もちろん、すでに若い時代を過ぎて「かつては自分がヤングケアラーだった」という人の人生は否定しない。

だけど、そうじゃなければまた違った人生があっただろうと思う。

 

以前も書いたけど、私の祖父は弟が生まれて半年で母親を亡くして、当時6歳。生後半年の弟をおぶって小学校に通って、おしめから何から全部面倒を見たという。

そのせいでひらがなも上手にかけなかった。

だけど成績はよくて師範学校に行こうとしていたけど、やっぱり弟の面倒を見ないといけないから働くことを選んで、学校をやめてしまった。

対称的に弟は大学を出てお勤めもして…。おじいちゃんはそんな弟を誇りに思っていたけど、子どもたち(うちの母や母の兄など)に託す思いはあった様子。

苦労することは人一倍あったからこそ、子どもや孫が苦労することは絶対に許さなかった。

おじいちゃんの話を思い出すたびに、そういうふうに家族のために何かを我慢して生きざるを得ないことを美談にしてはいけないと思う。

自民党憲法はほかにも反対の条文は多くあるのだけど、この24条を取っても大反対である。