子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

目線の距離。

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平日の朝は娘は学校、息子は保育園とそれぞれ生活の場が違うから遊ぶことはほとんどない。

加えて、娘が習い事をしている日は、帰ってくると夜8時。

すっかりおばあちゃんに夕飯を食べさせてもらった息子は、「いつ寝ても良い状態」になっている。

だけど毎度毎度遊びたがるし、娘も娘で一緒にじゃれ合って、シャワー後に夕飯も食べずに遊んでいる。

 

一緒に娘とシャワーをしていた時に、私が椅子に座って娘が立っていたら、娘のほうが当然背が高くて、私が見上げる感じになった。

その時に見えた娘の顔。なんだかものすごく近い感じがした。距離の近さの問題ではなく、角度といい、目線の先の距離といい。

ああ、息子がいつも見ているのはこの角度から見える娘の表情だったんだ、と腑に落ちる。

親は子どもからしたらあまりにも巨大すぎて正直、「親近感」とは違うだろうと思う。

気の合う合わないはあるとして、きょうだいが比較的仲良しな場合に、そこに横たわる信頼感(特に下のきょうだいが上の子を慕うとか)は、この背丈の違いの距離があるのかもしれない、と思った。

 

なんていうか、親よりもよほどよく表情が見えるし声もよく聞こえるし、身近に感じる。

私たちが人と話す時に視線をそろえるべくしゃがんだりするのは「上から人を見下さない」というマナーとして教えられたけれど、目線を近づけることの意味ってもう少し深いところにも理由がありそう。

あとは、仲良しのきょうだいをこの先も仲良い関係でいさせてあげるのは、紛れもなく私自身の子供に対する接し方が問われているだろうとも思う。

もしも親が片方だけを贔屓したら、もう片方の子どもは傷ついてしまう。

親としての役目の一つに、子供同士(家ではきょうだい間)の仲を風通し良く、安心できる環境にしてあげることなのだろう。

 

私も目線を時々揃えて子どもの見える視野や目線を見てみよう。