子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「無駄」と思えることでも。

f:id:like_little_children:20210518222159p:plain

この仕事(病院のソーシャルワーカー)をしていて、患者さんと話していると時々出会う言葉がある。「そういうことして何の役に立つの?」。

私の遥かに何十倍もリハビリのスタッフは言われているだろう言葉。

とある患者さんが仕事に戻りたいと考えていて、こちらで考えた復職への準備プランとして、院内の外来リハビリにつなげること、就労移行支援事業の案内、身体機能も低下が著しい(というか障害がある)ので、機能訓練のセンターの紹介...

などなど。

本人からしたら、「それって私のITの仕事に関係ない」「どうしてそんなふうに復職のハードルを上げるのか?」という疑問なのだろう。

 

そのきもちもわからなくもない。特殊なスキルや知識があって、それで食べている人にとって、病院のまどろこしい検査とか訓練て「それって何の意味が?」となってしまうのだろうと思う。

ただ、子どもを見ていると思うのだけど、勉強で覚えたことや身につけたことを社会生活で活用させていくことやできるようになることにはやっぱり少し隔たりがある。

ちょうど時計を覚えたての娘。

あと20分したら寝ようね、というと、それが何時かというのはわかるのだけど、その20分の間に自分がすべきことをどれくらいできるのか、という判断はなかなか難しくて前後することがよくある。

起きる時間だってそう。何時に寝ないと、何時に起きられない。

わかっていてもそこに向けて自分の行動を調整したり、時には時間をずらすとかやることの優先順位を変えるといったことは難しい。

勉強ばかりして実践を伴わなければもちろん、習ったことを活かせないのだけど、やっぱり「専門の人について習って、それを実践に活かす」ということを繰り返していかないとなかなか身につかないのでは?とも思ってしまう。

これは私の価値観なのかもしれない。だとすれば、患者さんに押し付けることでもなんでもない。

 

もちろん、仕事に戻るプロセスは十人十色で決まりきったルートはない。

だけども。

だけども、自己流でうまくやっている人ってやっぱり見かけない。

自己流が悪ではないものの、最善でもないのだろうというのが経験的に感じていること。

こちらも(医療やそのほかを提供する側)別に無駄なことをさせようとか、無駄だとわかってて案内しているわけではない。

言葉が足りないのかもしれないし、押しつけになってしまっているのかもしれないけれど、ついつい患者さんの「その後」を案じてしまう。

案じているばかりではなく、やるべきことをやり、伝えるべきことを伝え、あと判断するのは本人であり家族であり。

そのことに立ち返っていくしかない。