シャワーを浴びていたらふと大学受験のことを思い出した。あの頃はもう二度と振り返りたくない、真っ黒なトンネルの中を、光も見えずに歩いていたような毎日だった。
でもあれから20年以上もたってさすがにもう少し冷静に思い出せている。
高校3年で志望校が急に見つかって、その頃私の偏差値は最低だったから教科によっては倍くらいの偏差値が必要だった。
満を持して志望校の受験(最後のトライ)をしたけれど、その年は滑り止めで受けた全校合格しても良いよね、というくらい勉強していた。
どれくらいしたかというと、四当五落ばりに。
大晦日も正月も予備校で勉強した。
今この瞬間にも現役生は笑って紅白見てるかもしれない、東大現役合格する人の滑り止めで楽勝な人が、また一つ難解な単語を覚えているかもしれない。
強迫観念にも近い感じで、勉強しないと死ぬ!くらいの勢いで勉強していた。
志望校の過去問は解き尽くしたので(学部超えて全部)、東大後期の問題にも手を出した。
それでも不安しかない。
そんな感じだったなと、急に思い出した。
結果的には志望校と滑り止めの滑り止め以外、落ちてた!!!
対策打ってなかったから、なんて言い訳は通用しない。実力の問題だろう。志望校は念力で受かったのだろうか。
未だ謎だけれど、とにかく志望校に受かり、卒業できてわが人生に悔いなし。
そんな感じではある。
それくらい、自分にとって大学受験は人生を揺るがす一大事だったけれど、すごく衝撃だったことがあった。
受験が終わって、翌日だったかに予備校に顔を出したときのこと。
お世話になった先生に自分の書いた回答を見せに行った。
「大丈夫。合格だよ」と言っていただいた。
にもかかわらず、解答速報ではぜんぜん違う答えが載っていて、おそるおそる先生に確認したところ「あの解答を作ったやつはキミよりできないってことだよ。キミが1年棒に振った時、ついていった先生では合格できないってこれでわかったでしょ」と言われた。
そう。偏差値が地を這うレベルだったのに難関校を目指したがゆえに、かなり一生懸命勉強した。にもかかわらず、成績はいまいち伸びなくて1年目は不合格で、翌年先生を変えたらあっさり成績は上昇して合格できた。
大学受験で大事なのは努力の方向性と正しい導き手についていくこと(習うこと)。
これはものすごい教訓になった。
受験シーズンでは全く無いけれど、人生の中であまりにも強烈な日々で、結婚生活なんて霞むくらい、努力の量は人生のハイライトだったと思う。
急に思い出してしまった。