子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

子育ての無能感を日々忘れない。

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我が家は夫と別れ別れになってから、私と子ども二人の家族になった。

子どもはまだ10歳にも満たない幼さのある児童と幼児だ。

もう少し小さい頃は、娘もたびたび癇癪を起こすし、息子はわんぱくでは語りきれない、歩く好奇心というか初めての場所でもずんずんと立ち入り禁止区域や人の家に入っていくような子どもだった。

今もヒヤヒヤとさせられることは絶えないけれど、子どもを叱りこむみたいなことはここ1年くらいずいぶん減ったと思う。

2−3歳の頃、何度同じことを注意してもいっこうに注意を聞けず守れず、「まあ子どもだから仕方ない」と思う反面、母からは「なにか発達に問題があるのでは?」と言われていた。

保健センターにも相談しようと電話したほどだった。

 

悪いこと(壊す、投げるなど)をしてすごく怒っても、優しく話しても効果は同じ。

そうすると叱ってる親は「ちゃんとしつけてる」感が持てるからきつく言うことが常態化してしまう。

 

優しく言ったり怖く言うののミックスタイプもあるし、自分なりの使い分けもあるけどどうにも自分のテンションやコンディションが左右される。

加えて親は私だけという家庭の中で、私がすごく叱り込んでしまうと、子どもは怯えて従うという構造も産みかねない。

実際にビビって「うん」という場面がなかったとは言えない。

 

でもそのときにすごく怖いことだと思った。恐怖で人を支配することほど恐ろしいことはない。

 

本人の自由意思を奪って、決断や判断能力を欠如させて、それってしつけでもなんでもないし親としても大人としても失格だろうと思う。

 

悪いことをしたときにはきちっとだめだと伝えてその理由も必ず添えて伝えるけど、ダラダラ叱らないし私自身がすぐに転換させて引きずらない。

子どもは一言言われただけでスネるのでやや面倒な性分なのだけど、それでも立ち直りもそれなりに早くなっている。

 

親と子どもという年齢の圧倒的な差、小さいうちは体格差もあって、そんな親から叱られるだけで嫌なことだろうと思うし怖いことだろうと思う。

 

人間は人が自分の言うとおりに動いてくれる、反応してくれるときになぜか「自分は正しい」とか「自分は強い」みたいな勘違いをしやすい。

とくに親子の間では関係性の非対称性もあいまって、余計にそういう思考に陥りがち。

昨日のブログにもかいたこととつながるけど、子どもとて一人格者、親とは異なる存在。

そして、親としてしてあげられることもできることも、本当にちっぽけだし、どんなにお金があろうが時間があろうが、子どものすべてを満たすことなど到底できない。

常に正解を子どもたちに示し続けることもできない。

 

いつも失敗したなと思ったり、もっとこうしてあげればよかったかなと思うことも多い。

そういう無能感は自分が調子に乗らないために、盲目にならないためにとても大事な戒めだと思う。