子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

見えない学校生活

f:id:like_little_children:20210711174803p:plain

最近、娘のテストが立て続けに0点。

一度はおしゃべりをしていたから。

もう一度は机の中の教科書をテスト中に見たから。

 

絶対ダメなやつ。両方ともテストは失格。とくに後者などルール違反もいいところ。ありえない。

我が子ながら、どうしてそういうズルをしようとしたのか、情けない。がっかりだわ。

そう思って、「誰が見てるとか見てないとか関係なく、絶対ダメだから。先生も親も見てなくたって、悪いことしてれば神様が見てるからね!」ときつく叱ったらうっすら泣いてしまった。泣くなら悪いことしないでよ。

0点は当然のことであろうと思う。

わからないことはわからないままでいい。テストのあとで確認すればいいのよ。そうじゃないと合ってる問題も0点だよ。

それを言われて、娘も気がついたらしいけど割と完璧主義だからできないと変わらないってことがすごく嫌なんだろうな。

そんなふうに思う。

その後、コナンを見ていてコナンが死んでしまうかもっていうシーンで泣いてて、情緒はちゃんと育ってるし、もう少し様子を見ていかなくちゃな。そんなふうにここのところ考えている。

 

明け方にニュースを読んでいたらこんな記事を見つけた。

bunshun.jp内容はひどいもので、これが教師のすることかよ?とは思ったものの、私の小学生時代もひどい教師があちこちにいたから「まだこんな人が教師やってんの??」っていう呆れた気持ちにもなった。

 

娘のエピソードは娘がだめなことしてたから叱られて当然だし、違う場面では先生が娘をかばってくれたりもしていて、ダメなことはダメって言ってくれるし公平に扱ってくれていい先生だと思う。

なので、娘の学校については心配していない。

 

だけど、この先こういう大人と子どもが出会う確率もあるのかと思うと、暗澹たる気持ち。

小学校以上になると、普段の子供の姿ってほぼわからない。学校で子どもがズルをしていても、誰かに意地悪をしていても、逆に仲間はずれにされていても、何もわからない。

保育園以上にその見えにくさはある。だけどまだまだうまく言葉にして伝えることはうまくできないから、嫌なことがあったときも時系列では話せないし事実関係も前後してたりして、本人の中でも混乱していることがある。

学期初めの二者面談はなるべく対面で行こう。

そう思って実行しているけどそうしてみてよかったなと思う。仕事で保護者会にもなかなか行けないし、このご時世だから保護者会もZOOMになっている。

そうすると先生の表情とか教室の感じとか伝わらないことが多い。

二者面談のときに対面で話したことがあると、先生の様子とかはある程度把握できるから安心感が違う気がしている。

 

悪い先生ばかりではないのはわかっているし、現に娘の担任は去年も今年もいい先生なのだけど、こういうニュースを見るとゾワ〜っとしてしまう。