子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「ママは離婚したの?」

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コナンをみんな(私と娘と息子)で見ていたときにおもむろに聞かれた。「ママは離婚したの?」「ママはパパと一緒に暮らしてないよね。それって離婚したってことでしょ」

突然の発言にうっかりと言葉をつまらせてしまい、まだきちんと説明ができていない。

 

娘なりに「そうなんだろう」という思いもありながら過ごしていたことだろう。いつからそう思うようになったのだろう。

 

まもなく夏休みで、パパのところに遊びに行くことになっている。

こんな緊急事態宣言下だけど当然お構いなし。

まあ、前々から(昨年冬も)泊まりに来いという感じだったし、いろいろと見解の相違もあるので子どもの感染には十分に気をつけていただくしかなく。

 

そのためか、「パパの家に行ったら」とか「パパと一緒に」ということを娘は嬉しそうに話してくれる。それでいい。

パパとママが一緒にいなくても、パパにママの話をしていいし、ママにパパの話をしてもいい。当たり前のこと。話したいときに、話したいことを遠慮せずに話す。家の中はそうでありたいと思う。

 

それでも娘のどこかで遠慮の気持ちは残るのだろうか。

 

 

なんで離婚したのか、は語り尽くせないことだけど、娘になるべくわかるように、嘘がないように、娘の心を守りながら誠実に話していかないといけない。息子にも同じ。

 

そして夫がいなくなって5年たった今、我が家は「共同体」的な感じになっていて、つくづくと「母親」面できない私がいる。

なんていうのかな。親としていろいろなことを我慢するとか、感情を出さないとか、そういうことがなかなかできないというか、しない。

私もまた、許容される範囲の中で好きに過ごしている。

 

まあ、我慢しない、ということの内容としては好きなテレビ(ジョブチューンとか捜査一課長とかキントリとか)は見るとか、スーパーの買物でついつい何周もしちゃうとか、そういうことなのだけども。

怒ることもあるけどそれよりは笑ったり喜んだり、そういうことに子供の顔色はあまりうかがわない(子どもが泣いているときに自分が面白いからって笑うとかは絶対にないけども)。夫はテレビが嫌いだったから、私がアメトーークとか見て笑ってると下品だとか言われたなぁ。

 

ちなみに、自分の自戒も込めつつ子どもには負の感情(主に怒り)の出し方と出す相手とタイミングなどで相手にどんな受け止めをされるか、かえって伝わらないこともあることを教えている。

 

まあ、自分だっておこってしまうことあるし、子どもにとっての完ぺきな親ではないんだけどもね。

でも、怒って物に八つ当たりして、物が当たって関係ない人が怪我する(さっき、風呂場で実際にあった)とか、そういうのははっきりとだめであると伝える。

 

離婚した当初は、「父親の分まで」的な思いもないわけではなかった。

だけど大概、そこで発揮されるのはダブル抱っこ(娘と息子を両腕に抱っこ)や抱っことおんぶのダブルとか、パワー系で発揮される程度で私の体力の限りでの力技。

本当に夫が得意だった工作とかDIY的なことはちょっと無理だなと思ったし、トライもしなかった。

 

その結果、どちらかというと「3人でどう楽しく生きるか。子どもたちをどれだけ心身健やかに育てるか」そういうことに気を配っていた。

家族ってきっと一生そういう視点でお互いを認識していくのだろうと思う。少なくとも、私の中では。

ママは離婚して、そして娘と息子と生きている。

 

その事実に娘や息子が揺らいだりバランスを崩すことがあったら、それはママがちゃんと手をつないで、支えていきたいし、それができないとしたら、ちゃんと娘と息子が2つの足で立てるように、必要なことを何でもしてあげたい。

そういう覚悟で、パパと距離をとったことをいつかは伝えなくちゃな。