高校の家庭科の時間だったと思う。
家族の役割として、「文化の継承」というものがあることを知った。それまでそんなに意識したこともなかったし、気にも留めていなかったけれど、その話を聞いたときに「確かに家族の文化は家庭内で継承されるのかも」と思った。
たとえば、家で音楽を聴く人はその音楽が子どもに馴染みある音として認識されるだろうし、洋服の趣味や読む本、見るテレビ。いろんなものが「文化」と言えるのかも。
洗濯物を干しているときに急にそのことを思い出した。
私の祖母は和裁も洋裁もできる人だった。すごいなと思っているけれど、当時はそれが教養だしできて当たり前の時代だったのかも。洋服は買うものではなく作るもの。
母は結婚するまでほとんど服を買ったことがなかったという。スーツも着物も普段着も全部祖母が母にオーダーメイドで作っていた。
残念ながらその知識と技術は母のもとには継がれず、私のところにも継がれていない。
だけど、母は多少なりとも丁寧には裁縫ができる。マクラメも教師をする程度の腕前はあり、何かを作る能力は形を変えて継がれている。
で、洗濯を干していて思うのは、干し方一つとっても「干せばいいんでしょ」という干し方しかしない(できない)私と、よりよく乾くためにシワを残さないように干すにはという生活の知恵を持って教えてくれている母の、何ひとつも継いでいないということ。
いい加減、そろそろ私も家庭の文化継承として継いでいく必要がある。20年は遅いけど。娘にズボラな私を継がせるのも良くない。
祖母の古い手動ミシンが祖母宅に置いてあって、それをいつか取りに行きたいと考えているけどそう言いつつ10年近くが経過してしまっている。
こんなコロナで祖母のいる施設にも行けないけど会いたいな。
もうすぐ祖母の誕生日。今年で96歳。
私のことなどわからないだろうけど私の中で祖母は誰よりも優しく、大好きな祖母に変わりない。
手の器用さも、マメさも引き継がれていないけど祖母や母の精神面はそれなりに引き継がれているような気がする。
家族というのは本当に奥深い関係だなと思う。