子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「私は悪くない!」

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この夏また一つ年をとった。ありがたいことだ。健康で新しい年齢を迎えられることも、人間関係の中で(家族や職場、友人がいること)年を取れることも。

なので誕生日は前向きな気分で過ごしている。

 

そして立派に中年と呼べる年を生きている今、やっぱり「どういう大人か」というのを自分によく問いかけている。

醜い大人というのはいくつか条件があるけど、その一つが「自分は悪くない」ということを体全体から発する態度と、ときに言葉で伝えてくる人だ。

news.yahoo.co.jp

こういってはなんだけど、このニュースを見たとき「うわ、汚い」が第一印象だった。

一晩たって読んでも汚い。

不衛生の極み。映像で見たらもっと嫌な気分になった。

その後の言い訳が「愛情」だとか「羨ましい」とか幼稚園生程度の答えで膝から崩れる感じはあるものの「この人こんな感じだよね」とも思っていた。

だからゆるされるとは全く思っていないけど、この手の人をこの地位につけさせている名古屋市民の感覚も気になるところ。とくに投票した人たちの。

 

こうして自分のしでかしたことに対して「それはいかがなものか」と言われたときにその理由や中身をよく吟味して「ああ、それは自分がまずかったな」ということやまずいときにきちんと相手に謝るという単純なことすらもできない大人がいる。

結局河村市長もトヨタ様に謝罪したのであって選手に直接謝ったわけではない。

それ謝罪じゃないし。

 

このニュースとは全く関係なく、とあることで患者さん家族と「謝罪することがあったとしても、された謝罪を受け入れるかどうかは別問題」と話した。

したことを素直に認めて謝れるって中年に限らず大人の基本的な心得というかもう幼稚園年中くらいで身につけたいこと。

 

それができずにウダウダと年寄りになっていく人がたくさんいる。

スガ総理だって「安心安全」の一切を約束できない今、国民に対してしかるべき対応をすべきだけどメディアの質問にはだんまりと逆ギレ。その態度って国民に向かってやってるのと同じだし、まああの人(総理)の場合は最初から俺悪くないってずーーーーっと思っているだろうから、謝罪するなんてサラサラ考えてもいないのだろう。

 

なんか、そういう大人には絶対になりたくないし、子どもにもなってほしくない。

どんな些細なことでも過失があれば誠意を込めて謝る、話す。

そういう丁寧さを大事にしていこうと思う。

私は悪くないっていう自己保身の態度って思っている以上に周囲からはよく見える。いかにも、器の小さい度量のない人間だ、と。