子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

あの人も40歳!

f:id:like_little_children:20210909214021p:plain

どうでもいい話なのだけど、高校時代にものすごく好きな人がいた。

一言で言うなら恋い焦がれる感じ。

全身、稲妻が走るような感じ。

とにかく迸るような電流を感じるような「好き」だった。その人の誕生日が、9月9日。

過ぎ去った。

まあ、片思いであり、別に何もなかったのだけどあまりにも好き過ぎた。

 

向こう見ずで声をかけたこともあった。

偶然にも親友の幼馴染と同じ高校の同じ部活。

思い出して今もグッと来る思いがある。巡り巡って、同じ大学に進学したけれど、私自身が病んでしまって容姿も変わってしまって彼の前に姿をさらけ出すことなど絶対したくなくて、結局同じ大学まで行けたのに何の縁もなかった。何かの拍子に見かけて「ああ、あそこに就職したのね」というところまでは知ったけれども、その頃には別に思いもなく、今に至る。

 

誕生日を聞いたとき、「救急の日。」とだけ答えてくれた。

それ以来、9月9日が来るたびにふと思い出してしまう。もうすっかりおじさんなのだろう。私も負けないおばさん。でも高校生のあの頃から私はあんまり中身は変わってないかも。

相変わらず精神的にはメルヘンで、恋愛のあれこれも苦手で、結婚したときには「もう恋愛をしないでいいんだな」てことに安心を覚えたくらいなんだから。

 

バランスが悪いほどに誰かを好きになってしまうっていうのは、高校生だからではなく私のあまり良くない特性だなと今は思う。

良く言えば愛情が溢れすぎてしまう。

悪く言えばストーカー気質。実際に相手に迷惑になるほどの後追いはしないけど、「ここで働いてるのか〜」くらいにはなにかのついでに近くまで行ってビルを見上げてしまう(まあ、それも恐ろしいか)。

 

その後、結婚したり子どもを授かれたり、何よりも今の仕事に出会ったり勉強することを通して人との距離感にずいぶん踏ん切りがついた気がする。

今も、共感性は高いほうだなと思う。その反面、夫のようなモラルハラスメントの人と出会ったことで共感する自分を客観視することができるようになった。

 

10代の頃はあんなにも全力少年みたいに力いっぱいを傾けてだれかに思いを寄せていたのに。今はそんなことしなくなった。

順調に年を取れているのだろう。

その割には年甲斐もなく、やっぱりすぐに惚れっぽかったりもする気がするけども。今となっては子どももいて、すてきなだれかを思い浮かべたところで、その思いなんてミスチルの櫻井さんを思い浮かべるのと同列レベルで非現実。

最初から夢の中の話。

 

まあ、それはそうと、あれから何十年たったのだろうか。彼も40歳を誰かと祝っているのだろう。

元気でいてほしい、いろんな人の一人。