好きな人についていく
息子と歩きながら三日月を眺めていた。月や星を見ていると「ずっとついてくるね。好きなのかな」と息子が言う。「そうだね。それでついてくるんだね」などと話しながら過ごす。
今日も似たような会話をしていて
「そうだね、好きな人だからついてくるんだよ。好きな人にはついていくよ」と思わず答えた。
好き、にもいろいろある。けれど、相手を尊敬していたり好感を持ってみている相手には「ついていくよ」と思う。たとえば結束の強い、信頼関係のある部活の先輩だったり、チームリーダーだったり、先生だったり、社会に出てからは上司だったり。もちろん、それだけでなくすごく好きな人も。
私は夫の進む道について、「一緒についていくよ!」とは思えなかった。トリガーポイントはそこにあって「ああ、もう付き合いきれない」。そう思ってしまった。
なんとかがんばって子どもたちのために家族でいようと思っていたけれど、1つ目の夢を、仕事をやめ私がお金を借りる形で借金をしてまで授業料を納めて始めた勉強を投げ出して(それも試験の直前に)、やっぱりプランBがいいわ。と簡単に言った。
簡単ではない決断だったと言うのだろうけども、明らかに虐待親(彼の両親)の言いなりであり、望む道だったのは知っていたからすごく白けた。
借金はすぐ返済しなくちゃね。私、借金大嫌いなのよ。
そういうことくらいしか言えず、一筋なぜか泣いたのは覚えている。「ああ、もうおしまい!何頑張ってたんだろう」って思った。
無職の彼を支えて勉強を応援して(応援されないと勉強できない人だった今思えば)。
同じ時期に出産して、その後に子どもがICUに入院してて社会福祉士の試験もあって全部が乗っかったけど全部越えて合格した私への「あなたには実家があるからいいよね(勉強できて)」みたいな物言い。
「合格した人には勉強に苦しむ人の気持ちはわからない」なんて事も言われ、
「いや、お前独身気取ってアパートまで借りて勉強することにしたじゃん。何、敵前逃亡してんだよ。乳飲み子と2才児抱えて国試乗り切って、実家は大変に助けられたけど、片手抱っこで授乳中にこっちは勉強してるんだよ。自慢じゃないし子育て中なんてそんなもんとこっちは思ってるよ?」っていうのをぐっと我慢した。
何言っても通じない人と話しているこの時間、むだだよ。そうとしか考えが浮かばなかった。
すごく好きな人だったらついていったかもしれない。
だけどすごく好きで居続けるには、信頼されたり愛されたり、大事にされることもないと同じようには関われないなぁ、なんて思う。
夫婦なんてパートナーシップ。結婚早々の頃に「人間は信用ならない。だからあなたのことも信用してない」とイキられて、目を丸くしたことがあった。
ああ、夫婦関係築けないのかもなと薄らぼんやりした覚えがある。
そういう人は、人を支配したり管理したがる。子どもに悪影響。そういうのをなんとなく感じていながらだったから、「もう無理だな」からの「完全に離婚しかない」の結論は早かった。
好きな人だったらついていったかも。と同時にお互いに好き合っていればお互いの価値観、大切なものを尊重したり共感していただろう、ということ。
よく、「離婚して一番の被害者は子ども」というけれど、親から「信用してない」と言われて管理され、束縛され、母親もそのように支配されているいびつな家族環境の中で育つことが、果たして健全か。
私はそう思えなかった。今もそう思う。
だから「もうついていけない」はもう好きじゃなかったし、もう無理だったということなのだと、今更ながらに思った。
「好きな人についていく」。
そんな身軽さと潔さっていいなと思うけど、もういまさら、私自身は誰かと帳尻を合わせながら生きることもできないだろう。