子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「そんなの話し合えばいいのにね」。

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SNSを見ていて、家族間、友人間、職場の人間関係の愚痴などを日々見かける。

そういうのって「本人に直接言えばいいじゃん」とか「話し合えば済むのに」と思えてしまうことも少なからずある。

ただ、そういうふうに安易に片付けてしまえないからきっと悩んでいる、こじれているということにも意識を向けていきたい。

 

そういうことって10代後半と20代前半とか、比較的若い時に体得できる人もいるだろうけど、私自身はそういうことになかなか気づけなかった(今も気づけていないことがきっとある)すごく鈍感派。

昨日も書いたけど、娘の些細な状況や環境の変化に目を向けて「娘ちゃんなりにいろいろ抱えてんじゃない?」と一言言ってくれた姉の存在って大きいなと思う。私はずっとそういう姉の翼に守られて10代過ごしたんだろうなと思う。

 

私自身は娘を守る翼になってない気がしている。

ただ、娘が3−4歳の時に今の仕事を始めて、仕事を通してもっと人の考えや価値観の多様さを直に触れることができて、その経験はものすごく私のことを自重させてくれる。

調子には決して乗れない仕事。イケイケゴーゴーみたいなことは一瞬たりとも求められない。前職はどちらかというとITバブル的な匂いの立ち込める場所だっただけに、そのギャップは大きいけれど、今の職場で学べることは、人生に直結した事が多いなと思う。

 

出すぎてしまいそうなとき、自分はさ!って自分のことを言いたくなるとき、「それはあんたの話で私の話じゃない」というところに踏みとどまって、余計なことは言わない。

口は災いの元。

 

「そんなの話し合えばいい」「話せばわかる」。

それが通じないから悩み、困り、苦しい。そういうことを身にしみて知っているし、知ってるからこそ安易にわかること、受け入れることを人に求められないと思う。