子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

大好きだよ。

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息子が5歳となった。はやいなぁ。

時はどんどん流れている。

心静かに離婚へ、離婚へと歩みを進めながらの出産までの日々だった。

息子を産む前の日は受診もあり、子宮口が結構開いていたと思う(6センチとか8センチとか)。

それに18日だからヨーカドーのハッピーデー。大好きな天丼とお寿司を買い込んで「出産前最後になるかもしれないハッピーデー」を堪能した。買い物だけ。

その晩、どうにもこうにも気持ち悪い。食べたいけどだるい、みたいなうだうだとした時間を過ごし、結局寿司も天ぷらも両親に贈呈した。

 

夜10時半くらいに「これは夜を越せないかもな」と悟って病院に電話したら「経産婦だから来ちゃっていいよ」って手慣れた助産師さんがサクサクっと入院の準備(ベッド調整)をしてくれた。

私は一時同居していた父と病院へ。娘は母と過ごしていた。

私を病院に送って父も翌日の仕事のためにすぐに帰っていったし、私も私で寿司と天ぷら...と思いながら「明日には生まれるかなぁ」なんて深夜番組を見ながら考えていた。

 

長女の出産の時も個室を一晩使ったのだけど、息子のときも一晩は個室を利用した。出産前の痛みを大部屋で乗り切る自信と度胸がなかったから。

 

元夫に一応、「入院しました」の連絡をしたら、立ち会いたいと言って終電で来てくれた。来てくれたのはいいものの、頭痛いだの喉が渇くだのと文句を言いながら明け方に何時間もawayになっていて、いろいろさすがだなという感じだった。

こっちも気持ち悪さがずっと持続していたけどまあいいや、と寝たり起きたり。

そろそろもう痛いんじゃない?眠れなくない?となったのが朝7時。

ナースコールで「うーん。結構痛いんですよね」みたいに言って、そこでもう少し、もう少しと待っていたのだけど速い速い。そこからジェットコースターで7時20分には分娩台にいないとどうにかなりそう〜と思って「もう分娩台に行きたいのですが」と懇願して分娩台へ。

 

結局、7時半にもう産みたい!となったのだけど医師がまだ来ないから待て待てと助産師さんに止められ、止められるかな頑張れるかなと思いながら耐えて耐えて7時40分に出産。スピード出産だった。あんまり痛くもないし、一番痛いのは会陰切開だよ間違いなく。あれ、激痛。

あのあとずーーーーーっと痛かった。

出産の痛みなんて別に痛くもない。私にとってはその後の傷がよほど痛かった。

 

あれから5年。

息子は5歳になった。いたずらも悪さもたくさんする。だけど素直で天真爛漫で、太陽みたいな子。

私にとっては娘はどこまでもかわいい子だし、息子もどこまでもかわいい子。

息子は娘に比べても世渡り上手ではないし人当たりや人受けもそんなによくない。

他人の目から見た息子の評価は低いだろうことも知っている。

だけどそれでも私にとっては宝物。大好きだよ。