仕事を通して出会った人だから詳しいことは書けないけれど、「元気になって帰ってきてね」と急性期病院に見送った方が、1週間と程なくしてお亡くなりになった。
その人にとっての最善の環境とは?ということを何度も何度も看護師さんやリハビリの担当者と話して、できる限りのことをしたけど、最善の環境へ送り出すことは叶わず仕舞いだった。
病院に入院している患者さんが死と隣り合わせなのは、もう少し意識しておくべきかもしれないけれど、体調が悪くなる数日前までは会話もできていて、少しニコニコしたり訴えを言ってくださったりしていた。
だから「元気になって帰ってきてね」という言葉以外、かける言葉も見つからなかった。それが私とその人との最期のやり取りになってしまった。
いろんな人が、いろんな事情や生活歴をもっている。私もまた、入院したらそういうふうに捉えられるのだろうと思う。
その「いろんな」の中に、生きづらさを抱える人もいれば生きやすさを持っている人もる。
本当にさまざま。
そのさまざまである様子に、ときにヒリヒリしたり、苦しくもなったり、豊かな気持ちになったりする。
お亡くなりになった、その人と出会ってしばらくしてリハビリ担当と話していたときに、病気と関係なく「もともとできなかったこと」がもしかしたら多くあったのかもしれないという話になった。
もともとできなかった(身につかなかった)理由は、もうたどることも確認するすべもないのだけど、育った環境や時代背景に思いを馳せては考えてみるを繰り返していた。私の想像は想像でしかなく、事実とは異なることは重々承知をしつつも、「もう少しわかりたい」という気持ちがあって、その人に何ができるかなということを考えていた。
いろいろと担当者(病院の医療チーム)とで話し合った結果、「愛護的な関わりの中で心を開いてくださる。退院後もそうした環境で過ごせるといいね」という話になって、本人も気に入ってくださるところを見つけられた。
残念ながら、その提案は第三者(行政)によって潰されてしまって、忸怩たる思いをしたのだけど、私が悔しいな残念だなと思っている以上に、患者さん自身は残念に思っていたのか、どうしてなのか、みるみると具合が悪くなってしまった。
患者さんと関わるときに、私はどんな感情を持っているんだろうかと時々思うけど、一番強い気持ちは「あなたの味方でいたいよ」という思いが割と強い。敵と味方とかそういう思考回路の中にあるわけではないのだけど、なんていうかもしも困ったときにその人の側に立っていたいという気持ち。
なんでもかんでも言いなりというのとは全く違って「結局この人にとっての最善はなんだろうか」と考えながら。
亡くなってしまったあと、あれでよかったのだろうかということを確かめるすべももうない。
本人には天国に行って聞かないと永遠にわからないことなのだけど、大事に思いながら毎度お部屋に伺っていた、看護師さん、リハビリ、みんなに囲まれていたことが心地よかったのであればいいな。
この世のいろんな苦痛を超えて、今は天国で安心して過ごせていますように。