子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

感謝を忘れないために。

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子どもと出かけると、「冷たい目に遭った」という話は拡散されやすい(ような気がする)。

だけど、「とても助けられた」ということが個人的には多い。

今日もそんな救われた出来事があった。

息子のお迎えに行く前にどうしてもゆうちょで済ませたい手続きがあったのだけど、あいにくATMの故障で手続きができなかった。ただでさえ最近はATMが減っていて、お迎えの時間も迫っていたから、ほかの郵便局に行く余裕はないし、まずは息子のお迎えを、ということで息子のお迎えをしてべつの郵便局へと向かった。

息子には私のそばを離れないでねと伝えていたけど、そんなことを聞く感じもなく。

郵便局はビル内だったのも災いして、こちらはATMに並んでいるのに息子はどこ吹く風で他の店に入ってみたり、そこの商品を手にとって見たり。

列を外れて連れ戻そうとすると戻ってきたり。ようやく郵便局内に入ったかと思えば、便箋やレターカードを手にとっておもちゃのごとく遊び始めて、猛ダッシュで捕まえに行ったり。

子どもを連れて手続きするのがだめなんだってわかってるけど今日しか時間ないし。

 

そうしたら、私がATMの列を自ら外れたにも関わらず、後ろに並んでいたご婦人が「どうぞ。大変なのわかるから」と先に手続きをさせてくださった。

女神。

ありがたい。

お礼をもっともっとしつこくしたかったけど、ATMという場所柄、わざわざ声をかけて再度お礼を言うのも憚られ、心の中では盛大な感謝を込めて、郵便局を後にした。

 

銀行といえばもう一つ。

メガバンクに行ったときのこと。

高齢の4点杖をついたおじいさんがぐったりとしながら長い列に並んでいた。途中で立っていられなくなってしゃがみこんでしまったのだけど、そこにいた警備員も従業員も知らんぷり。

人としてありえないだろ。とそこにいた人たちの7割位は見ていたのだけど、たまらず列の一番前にいたご婦人が、杖のおじいさんに順番を譲っていた。

私はまだ列の後ろの方にいたけど、このご婦人の行動から、人としての当たり前の優しさとか、ちょっとした勇気とかなんだかすごく大事なものを感じ取った。

 

銀行の態度はともかく、ほんの少しの優しさが社会には無数にあふれている。

そうしたもので社会は支えられている。大げさではなくそういう気がする。

そういう人の優しさを踏みにじることや壊すことは一瞬かもしれない。だけど、本当の強さって優しさを他者に少しだけでも手渡していくことなのではないか、と世界が戦争に心を痛めている今、思う。