子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

音について

f:id:like_little_children:20220302212444p:plain

無音が好きか、雑音が好きか。

24時間過ごすとすればどちらが良いか。

そう聞かれたらまっさきに「雑音の中にいさせてほしい」と答えるだろう。

雑音と言っても生活音のたぐいだけど、洗濯機の回る音、掃除機をかける音、テレビの音、子どもの泣き声、車が走る音、電車の音...。毎日聞いているこれらの音が私にはなんとも言えない安心感をもたらす。

きっと人によっては特定の音が嫌だったり、ひたすら無音を愛するのだろう。

 

幼い頃、母親が異常に怖かった。今でこそ怖くないけど、怖くなくなったのは20代なかばくらいだったと思う。とにかく、怖かった。

 

母の怖さは、たとえば娘が(母からしたら孫)「フリースを着ていく」と言った時に「そんな服を着ていったら周りの子になんと思われるかわかる?あれしか服がない、季節外れの服を着ているって思われるのよ」と脅すところ。

 

母は脅してるつもりはないだろうけど、小学2年の子どもたちがフリース着てようがオーバー着てようがいちいちかまってないと思う。

「暑ければ、明日は着るのやめようって本人が思うでしょ、なんでもいいじゃん」と私が話を遮ったけど、幼い頃はこういう圧が本当に怖くて憂鬱だった。

 

かといって、「何着ていったらいいか」と聞くと、自分で考えろということなので、なんとなく中間を選ぶような感じになっていった。

その母は無音を愛するタイプだったのだけど、家に帰ってしずか〜な部屋で黙々と手仕事をしていたり、新聞を読んでいたりして、The気まずいという感じがすごく苦手だった。

だから母が働きに出ることになったときは、小躍りするくらい嬉しかった。小学2年の頃だったな。

母は心配していたようだけど、私は姉という大きな翼の影もあったし、何より母のいない開放感に浸って、テレビ三昧だった。

それ以来、音のある生活を愛するようになった。

そのせいだと思うけど、子どもがギャンギャン泣いてても、泣き声自体でストレスになることはないし、テレビがつけっぱなしでも爆睡できるし(電気もしかり)、朝起きてから寝る寸前までテレビの音に包まれていたい。

ただ、さすがにガヤガヤのバラエティは苦手なので、平日夜はWBS、週末はEテレN響などわりと生活に馴染む音に囲まれている。

あとは、子どもの見てるコナンをひたすら一緒に視聴。

 

音があると落ち着く、落ち着かないっていうのも人ぞれぞれ全く違うから、結婚してそういうところをすり合わせるのって本当に難しい。私は音を消したくなかったし、元夫は無音派だったな。どうでもいいことだけど。