以前にも書いた気がする。
3月11日、東日本大震災から11年という月日が過ぎた。
あの日、私は職場にいた。ちょうど記事を校了して翌週の紙面づくりの編集会議をしていたところだった。すごく大きい地震。
立っていられないから椅子に座っていたら「机にもぐれ」と言われてあわててもぐった記憶がある。
それくらい疎かった。
その後、電車が止まっているとか、電気やガスが止まっているとか、そういう話がテレビやネットでちらちらと確認できた。あの頃使っていたのはFacebook。
でも震源地の東北が実際にどういう被害を受けているのかを知ったのは、その日の夜のことだった。
母もたまたま私の職場と同じビルに来ていて、歩けばなんとか帰れる場所に当時住んでいた私は、母を自宅に泊めることにして、一緒に歩きながら帰った。自転車通勤をしていたのだけど、さすがに地震後の道路に何が落ちているかわからないから、自転車を引きながら帰った。
2時間近く歩いて帰ったけど、家に帰ったら電気もガスもついたし、水道も問題なく水が流れた。ガスは1時間ほど止まっていたらしいけど、ついさっき復旧したと大家さんが教えてくれた。
その日、テレビを見ながら津波の様子をテレビでただただ眺めていた。
信じられないし、津波自体にリアリティがなかった。
あの日、あの頃、地震が全くリアリティを持って身に迫ってこなかったように思う。もしかしたら当時はそれなりに感じていたかもしれないけれど、ただただ圧倒されていて何もわからなかった。
震災の出来事がグンと近いものに感じるようになったのは、その後の生きている人たちの証を知るようになってから。
大規模な地震だった上に、津波があって原発があった。3重苦がいっぺんにやってきた。
それなのに、そのことを「なかったかのように」振る舞ったり、復興五輪とうそぶく政治家の姿に心底嫌な気持ちになったりもした。
でも、私はいったいこの震災の何を知っているというのだろう。
11年経って、忘れるどころか私は知っているの?ということも問いとして迫る。
世界で起きているさまざまな出来事。そのことについてもっと心や思いや考えを深めたいのに、あいも変わらず目の前の生活にばかり追われ、一日を終えている自分がいる。
地震のように自然災害で壊れてしまったのならともかく、人のものを意図的に破壊する、それも壊れたら自然体系を破壊する危険なものを、「憎し」と攻撃するロシアに嫌悪感しかない。
原発って電気も作るけれど魔物であることは、間違いないのだろうな。