子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

ウィル・スミスの平手打ち

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ウィル・スミスがアカデミー賞クリス・ロックを平手打ちした事件はあっという間に世界中に広まった。

最初に見た時の率直な感想は、「クリスがすごく非礼なことをしたからそれに対して強く強く抗議したんだな、毅然とした態度で臨んだんだな」ということだった。

日頃、暴力なんて絶対反対だと思ってたし、そこに条件(殴って良い時がある)はないと思っている。

それなのに、ウィル・スミスの映像を見たとき、そうは思わず、「妻を守る行動に出た人」と思っている自分がいた。

後日、ウィル・スミスは自身のSNSで謝罪している。

realsound.jp今回のウィルのした行動に対する意見は賛否両論。ジム・キャリーはありえんと怒っているし、擁護している人もいる。

印象的だったコメント(@Twitter)では、「こういうとっさの時に『暴力』という選択肢が取れるということは、普段から暴力を選択肢に入れていないとできないこと」という指摘だ。

 

それを読んでから色々と考えさせられているけど、私は少し違うことを考えていた。

人をおちょくったり、容姿をからかうような発言て本当に無数にどこの世界にもあまねく存在している。それに対して、ウィルの言うように、感じよく交わしたり、笑顔で受け流す方法もある。

でもそれって愛なのかな。

ウィルの肩を持つわけではないけれど、彼の受賞スピーチを聴きながら「本音と建前」のようなものの難しさを考えてしまった。

日本のテレビドラマでは愛する者のために殴るシーンというのが珍しくないけど、現実にはそれをする人はいないし、多くの人が笑ってごまかすのだろうと思う。だけど、本当は毅然と反論できたら良いのだろう。

ウィルが手を出してしまったことは今思えばやっぱり肯定できないけれど、彼自身の中に迸った本音、率直な感情もまた心底妻を大事に思う気持ちが出発点だったのではないか。など考えてしまった。

 

欧米では冷ややかな反応で「ウィルはヤバい」というレッテルになっているようだけど、それで言うなら言葉の暴力で人を傷つけたクリスもヤバい人だよなぁ。そして、言葉の暴力って傷が深いよなぁ。